パタゴニア皆既日食

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レポートその5 やっと本文 の巻き

今までのはプロローグで、ここからが、本文になります。
長い前置きを読んで下さった皆様、大変ありがとうございました。(ぺこり)

さて、パタゴニアって、どこかご存知でしょうか??(今頃かよ!)
聞いたことはあるけど、地図で示すのは難しかったりしません??
パタゴニア、タスマニア、マダガスカル、ガラパゴス・・・・
いずれも、なーんとなく、わかりそうで、わからない。
(それでもギアナ高地と間違える人は珍しいかもしれませんがぁ・・・・いや、数年前までの、ちょっとした勘違いですよー。汗!)


はーい。地図をご用意しました〜。

パタゴニアは、都市名でも国名でもありません。
南米大陸の最南端の地域全体を表しています。

南極大陸に最も近い陸地で、その昔、人類の祖先がアフリカ大陸に生まれ、ヨーロッパ、アジア・・・と世界中に広がり、そして行きついた最終到達点が、パタゴニアだったことから、「最果ての地」「世界の果て」などと呼ばれています。

日本からは時差12時間、ちょうど地球の裏側にあたります。

毛皮のブーツを履く先住民達を見て、「Pata(足)Gon(大きい)族」とマゼランが命名し、パタゴン族の地なので、パタゴニアとなったようです。

強風で有名な地帯で、最大風速が60m/sを超えることも珍しいことではない(人間は40m/sを超えると飛ばされることもある)そうです。(Wikipedia より)

実際、日食後のブリザードの中、スタッフの方が、目の前で、5mぐらい吹き飛ばされて、とても怖かったです。


その最果ての地は、今回の皆既帯の最終地点でもあります。

それまで、雲量などは全然気にしていませんでした。

(なんてったって、雲上のヒトですもの・・ホッホッホ

それが、今や、奈落のヒトになってしまいました。トホホ・・・)

皆既帯の7月平均雲量を見ると、高いと思っていたイースター島の55%よりも、はるかに高い、な・なんと8割!!

しかも、仮に全天晴れても、アンデス山脈の上は例外で、いつも、雲をまとっているのだそうです。

皆既日食は、その山々の、わずか一度上で起こるのですから、勝率は1億円宝くじ並みでしょう。


   『見れっこない・・・・

 『天は我々をミハナシタ・・・』
   



日食前日、数時間、遅れはしたものの、とりあえずパタゴニアには到着しました。
そして、日食飛行機はキャンセル決定となり、パタゴニアでの地上観測以外の選択肢も無くなりました。

ホテル到着後、遅い昼食をレストランで注文し、待っていると、「街へのバスに乗る人は急いで下さい!」の声が聞こえました。
「えーー。私の食事がまだ来てましぇーーん。」
周囲を見ると、皆、もう食べ終えるところでした。
「あれ??私だけ???」
すぐに、ウェイトレスを呼んで、急いでもらいましたが、元来、食べるのが遅いので、頑張っても、ちっとも進みません。
しかも、メインディッシュだけでなく、バケツ入りみたいなサラダや、デザートまで頼んでしまったので、どれも1/4ぐらいずつで終え、必死に口に押し込み、食事を終えました。
(実は、この食事のおかげで、チェックアウトの時、$240 請求されて、びっくりしました。食事代込でのツアーでしたが、それまでは、食事はアルコールやデザートまで、何でも飲み食い放題でしたので、その勢いで、たくさん注文する癖がついてしまいました。でも、後で知ったのですが、ここの食事については、メインディッシュ以外は、自腹だったのです。
あ、$1は0.25USドルぐらいですがね。アルゼンチンペソなのに、表記は$です。)

もったいないと思いながらも、急いでバスに乗り、街に向かいました。
今日は、ルームメイトのアニータ達の講演会です。
彼女達の事を思うと、私などは、まだまだ恵まれていたと思います。なんたって、彼女達が日食機の故障を知ったのは、出発してからですから。
講演は4人行い、いずれも、今回のツアーで、私にとって最も身近な人達でしたから、私は気合いを入れて、写真を撮り、メモを取り、熱心に聴きました。
どの講演も、とてもおもしろく、時はあっと言うまに流れて、夜のトバリが落ちて行きました。

ホテルに戻り、夕食が終わったのは、10時過ぎ。
部屋に戻る途中、マイクに呼ばれて、みんなで、マイクの部屋で、お天気講座を拝聴しました。
マイクは20回近く日食を経験しているベテランのお天気フリークです。話題豊富で、私達を飽きさせる事がありませんでした。
ただ、私としては、明日の天気がどうなったとしても、もう行くっきゃない状況なので、マイクの天気予報の熱弁をよそに、「部屋がとおおおおぉぉぉいーーー」と思わずには居られませんでした。

天気は天の気分と書くでしょう。
天にお任せしましょうよ・・・・


っと言いたい所でしたが、そんな事言えましぇーん。

結局、自分達の部屋に戻ったのは、11時ごろだったと思います。

それから、やっと日食の準備です。
いや、その前に、お風呂にはいろっと。
日本を出てから、シャワーは浴びてもお風呂に入る余裕がありませんでした。
ああ、日本人はやっぱ、お風呂だーー!
っと思ってお湯をはろうと思ったのですが、探しても、お風呂の栓がありません。
あぁぁぁ、またかぁー。
まあ今日もシャワーで我慢するかぁ。がっくり。


さて、この時、私の体はもう半分壊れていました。
第一、全然寝ていません。数えてみたら、殆ど寝ないで、10日ほどになります。
人はどれだけ寝ないで生きていけるのでしょう??確か3日と記憶しています。
明日日食というのに、既に限界間近な状態でした。

にもかかわらず、深夜、またごそごそと作業です。
明日(っていうか、もう今日だー)は、早朝出発したら、もうそのまま夕方の日食に突入です。
PCを広げてエクリプスナビで、観測地の経緯度を入力、第1・2・3接触の時刻確認。
最後のシミュレーションをしてみました。
エクリプスナビは日食機だったら、活躍の場がありませんでしたが、地上観測となると、頼もしい味方です。

よーし!!

リュックに、機材やカイロを詰めて、あ、その前に充電充電。

・・・・・コンセントのアダプターの一部がいくら探してもありません。

え?

ブエノスアイレスのホテルで、引き抜いた時、一部残して来てしまったのかもしれません。

アニータが、「こういうのは、無理して突っ込めば、何とかなるんじゃない?」と言って、テキトーに差し込んでくれて、とりあえず使えるようになったと思いました。

で、じゃあ、PCを開いて、メールチェックに、プロミネンスチェックもしよう・・・・天気チェックは充分すぎるほどしたから良いと・・・

ルームメイトの為に、部屋の明かりは消し、PCの明かりだけで、作業しました。

ベッドの下にパソコンや機材を広げて、最後のチェックと充電です。

無線LANが、あんまりたらたらしてるので、時間がかかってたまりません。

携帯も充電しておこっと。

ネットが終わったら、PCの充電ね。ネットDLの間、ちょっとだけ寝ようかなあ・・・・

っとまどろんでいたら、PCが「ピーッ」と鳴って、画面も辺りも真っ暗になってしまいました。

おっと、電源落ちたか。オートパワーオフになったのかな???

ん????

なんで?????

AC電気来てなかったの??

まるで、吸われたみたいだーー!!!

電源入らない!!

カチカチカチ・・・

え?????!!!!


パソコンのバッテリーが・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・死んだぁぁあああああ!

ま・まさか、携帯・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・そのまさかだぁぁあああああ!

パソコン死んだのは、かなり痛いけど、

携帯については、こうゆう時の為に、単3電池の充電器も持って来たのよねえええ。備えあれば憂いなし!(ちょと、あせりで手が震えてるけど・・・・)


暗闇で、充電器を出した瞬間でした。


パリーーーン!!

最後の頼みの充電器が突然、割れてしまったのです。

えーーーーっ!!

な・なんでぇ!!!


この瞬間、私の脳裏に苦い記憶がよみがえって来ました。

父が亡くなった朝、父の茶碗が真っ二つに割れたのでした。

・・・・・・・・・・・

たとえようのない不安にかられました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・どしよ・・・・・・・

もう、何かあっても、日本に連絡できないかも・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



そうこうするうちに、またまた起床時間になってしまいました。


あああー、

全然寝てないし・・・・

足はパンパンにむくんでるし、

血豆痛いし、

手の爪もはがれそうで、痛ぁぁ・・・・・

眼の周りは、熱いような

体は熱いような冷たいような・・・・

意識は朦朧として・・・・・・

なんか、もう倒れそう・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・生きて帰れるかなあ・・・・・・・・・・



2010年皆既日食レポート その6につづく

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