全柔連に望むこと〜誤審対策〜

SINCE 2001/01/11
UPDATE 2001/01/21

(序文)

2001年ドイツ・ミュンヘンの世界選手権と時を同じくして、総会で選挙があります。その席で会長職と審判理事などの、IJFの方向を左右する重役の任期が切れるのです。現時点で朴会長とジム・コジマ審判理事が再出馬を表明しています。

朴会長の五輪主導の方針は『朴会長、その未来』で述べましたが、世界からは承認されており、対立候補はいません。日本が仮に出馬しても、掲げるべき公約が無く、敗北するのみだと思いますので、会長戦には期待しません。

しかし、審判理事は異なります。ジム・コジマ理事主導の審判体制で日本は昨年のシドニー五輪で甚大な被害を受けました。日本に限らず、数多くの選手が、です。審判の質的問題がありながら、それを救う為のルール的救済策は皆無であり、その救済策と思えた審判委員も1997年パリで機能確認されながら、役立ちませんでした。尚且つ、試合後の抗議に対しても『ルールだから覆らない』と、黙殺するのみです。

もしも日本が本気で篠原選手が受けた被害を、将来的に根絶する意志があるのならば、以下の事項を満たさなければならないと考えます。逆を言えば、これらのひとつでも提案・実行されないようであれば、残念ながら『全日本柔道連盟は何も変わらない』との諦観を認めなけばならず、それは悲しいことです。尚且つ、全柔連が 『審判をする資格が無い・技を裁く資格が無い』とIJFに断じられたあのチュニジアでの結論(全柔連の主張認められず、一本ではなく、双方無効)を容認するに等しいと思います。

(審判理事への立候補)

以下の5点を実施する為に、全日本柔道連盟は審判理事に立候補すべきです。その際、その多くの資金と人材を提供する用意があることが前提となります。予算を理由に実行不可能な画餅と断じられては、何もできません。他国に負担をさせず、尚且つ改革を行いたいならば、自らの懐を痛めなければならないのです。

現在審判理事にいるジム・コジマ理事に対する、日本からの不信任案とこの行動が受け取られてもいいのです。コジマ理事はパフォーマンスを行うものの、自分の言葉に対する責任を負おうとはせず、ある意味で朴会長に阿っており、人間として信用できません。

ルールを尊重する面相を保ちつつ(篠原選手への誤審の際、『ルールだから判定は覆らない』と述べる)、そうかと思えば朴会長による『ある特定個人への審判資格の特権付与』(『朴会長、その未来』参照)を容認しており、篠原選手への判定がIJF公式では『双方無効の結論』にも関わらず、自身はIJF公式の立場にありながら臆面も無く『一本だと思う』と言明しています。行動力は『襟厚柔道衣』や『日本女子選手の白線入りの黒帯廃止』で証明されますが、今回の審判問題ではまったく役に立たず、その解決策を示そうともしません。いえ、示されましたが、ルール的な面での補強が如何に物足りないかは、別の機会を設けて、解説します。

ジム・コジマ理事は誤審のたびに、こう言います。

『審判の質的向上は図られている』

確かにそうでしょう、ですが目の前に質が低いとの結果があるのです。その被害を受けた選手に対する誠意は微塵もありません。その彼が臆面も無く再立候補をするのは今までの路線継承と、その成功に対する自負があるのでしょうが、別に彼がそれを取り仕切る必要はありません。

彼の路線を継承するのは彼以外でもいいのです。日本は彼が今までにしてきたことを引き継ぎ、同時に今までしなかったこと、彼によって否定された日本側提案を実現する為に、彼の位置へ日本の代理人を送る必要があるのです。

(注:自分のこの提案は、2001/01/21に、IJF規約第10条4項『IJF理事会でひとりの人物が持てるポストは1つだけとする。総会で選出されるIJF理事会メンバーに1つの加盟国連盟が出すことができるのはひとりだけとする』に、抵触するとの指摘を受けました。つまり、日本は1加盟国、現時点で中村良三教育理事を送り込んでおり、それ以上の枠は確保できないということです。ゆえに、以下の提案は『審判理事出馬』という点に関しては『1加盟国ひとり』の規定を無視した非現実的提案となります。この点を書き込んだ上で、どこをどう直せばいいのか、観察する目的で以下の論考は残します。誤審が解決しないのは、解決する方向で動いていないと、思うからです。ご指摘を下さった方には深くお礼を申し上げます)

(審判理事出馬への公約改め誤審改革への提言)

1・試合中の抗議方法の確立
2・ビデオ判定の導入
3・審判委員の権限強化
4・主審と副審の位置取り
5・審判員の質的向上

(提言の説明)

(1・試合中の抗議方法の確立)

コーチ問題とIJF対策

現在、試合中にコーチが抗議をすることを、IJFは大きな問題としています。審判員に対する危険な行為、及び運営に悪影響を及ぼすと考えており、『受け入れがたい行為』と認定して、制裁処置まで講じています。

シドニー五輪の後、開催されたチュニジア審判委員会会合では、コーチのこれら行為に対して、具体的な『対策』として、サッカーのレッドカードとイエローカードに相当する、『赤旗・黄旗』による警告・退場処分の実施をルール化しようとしています。尚且つ、シドニー五輪前のローマの委員会会合でも、コーチに対する罰則が決定されました。(『試合中の抗議』参照)

IJFはさらに、コーチの側の不満を吸収すべく、IJF中村教育理事を中心に、コーチサミットを年に数回開催して、現場の声を反映させようと試みており、それもチュニジアで検討された事項です。

IJF対策の誤り

しかし、IJFの対策は根本的に間違っています。コーチが抗議するのは審判の質が悪いから、とIJFは認識しています。審判の判定がコーチに受け入れがたい、のを認めています。その原因を無くす唯一の解決策として『審判の質的向上』を掲げ、それを実行していると言うのが、彼らのスタンスです。

ここに抜け落ちているのは、『審判の質的向上が実現するまでの期間、コーチは審判の質の悪さに苦しめられ続け、救済策が無い』ことです。あくまでもコーチの不満は審判に対して向けられ、普段、会話をして解消される問題ではありません。その一方で、自らを守るように『コーチを悪者にする』排除のシステムが模索されています。

この発想は現場に立った選手の利益を守るものではなく、運営者がトラブルも無くスムーズに物事を運ぶ視点に立ったものです。自分たちが原因を生み出す環境へコーチを追いやっておきながら、その状況でコーチが『受け入れがいたい振る舞い』を行えば、即、排除するようにしているのです。

日本側がすべき提案

日本側が提案すべき事項は、コーチによる抗議を封じるのではなく、ルール的に保証することです。この視点がIJFには欠けており、支持は得られると思います。その具体的な内容は自分が考えることではないのですが、この権利をコーチが濫用する可能性もあり、そうかといって回数制にするのもおかしな話なので、雑誌『近代柔道』が2000年11月号で披瀝したアイデア、及び講道館資料部の村田直樹氏の意見を後日、ご紹介します。 現在はその分量の多さと、整理するだけの時間とゆとりがないので、スキップするのをお許しください。


(2・ビデオ判定の導入)

VTR判定参照

(3・審判委員の権限強化)

テレビ放送が進めば進むほど、試合以外も観客の評価対象となりえます。観客でさえも気づきえる『目に見える(しかし審判には見えない)』反則や、どちらの技かの判定を、試合場にいない審判委員が積極的に介入することを強く求めます。

その為、審判委員の増員(これは審判委員会の構成員が担当する今の方法を改める)を行い、担当者を増やすことで業務への専任を求めます。また現行の審判委員に関する規定も改められるべきです。自分の知る限り、審判委員の規則はIJF審判委員会規定(原文ではan IJF Refereeing Commission rule)であり、審判規定には含まれていません。これも審判委員の重要性が認知されない一翼を担っていると思います。

三人の審判のうち多数が、間違った柔道家にポイントを与えたのがはっきりしている例外的な状況では、IJF審判委員会委員は審判団を呼びよせ、彼らの意見を聞いたうえで、IJF審判委員会は強く自らの意見を与えられる。しかし、最終的な結論は競技場にいる3人の審判が決定する。この場合、IJF審判委員会委員は必ず、見直しと将来的な参考の為に、成文の報告書を提示しなければならない。

この部分は、シドニー五輪後の審判委員会ではまったくそのままに適用されており、改善点がまったくありません。改善されるべき点は、やはり『しかし、最終的な結論は競技場にいる3人の審判が決定する』部分です。審判委員の勧告のみでは、審判は判定を改めるのは困難です。なぜならば、彼は自分の視点でその判定を下しており、別の見方をいまさらしようにも、同じ時間は繰り返しません。再考しようにも土台が同じ情報であれば、同じ結論が出されます。

ここで審判委員の権限のひとつに、『ビデオによる状況の確認』を加え、尚且つ、それを全員で見た結果、審判員の『ミス』の原因を確かめた上で、審判委員の勧告を採用させる『強制力』を持たせるべきです。そうでなければ、審判委員の意味がありません。ビデオを見る必要性は必ずしもないのですが、主審や会場にいる副審は、自分の視点でしかものを見れず、再考を促されても同じ状況しか脳裏に再現できないことを忘れてはなりません。

(4・主審と副審の位置取り)

現在、試合を見る限り、主審は概ね電光掲示板と同じ方向を向いており、あまり動きません。同様に、ふたりいる副審も椅子に座ったままで、立つのは選手が近くに来たときに初めて動くくらいです。ここまで『不熱心』に動かないのですから、『見える角度によって』判定が異なる、と述べるのも傲慢です。

詳しい文章は2000年『近代柔道』12月号にて、ライターの木村氏が書かれていますのでそちらをごらんいただきたいのですが、自分は別に、審判員が動かないのならば、さらにふたり、空いている角に審判員を配置してはどうかとも考えます。そもそも三人である必要性は、ありません。

とはいえ、増員は支障が様々にありますので、せめて審判員が動き回り、常に死角を作らないような行動性を期待したいですから、『副審が座る』部分を改善して、動き回れるようにすべきと思います。

しかし、このように副審が動き回った場合の最も大きなデメリットは、試合者の視界を遮るよりも、『テレビの画面を遮る』ことかもしれません。柔道の試合場はリングと異なり、副審のいる位置も試合場と同じ高さで、壁のように邪魔になります。この点、考える余地はありそうですが、せめて主審は常に見える位置に、モナハン氏のようにいいかげんな位置取りをしないで欲しいものです。

(5・審判員の質的向上)

IJFが続けていることは、個人的に正しいと思いますので、この路線は継承して間違いないでしょう。現時点でIJFは『質の悪い人を審判にしない(厳選)』『審判員に試合を裁かせる(経験)』『審判セミナーを開催する(知識)』の三点に重点を置いています。

『質の悪い人は審判にしない』

ジム・コジマ理事の路線を継承していいでしょう。彼が審判理事になってから『合格率が低下した』とあります。合格率の低下が即ち質的向上へ繋がるかはわかりませんが、この辺、専門知識がありませんので、誰が審判としてふさわしいかを選別する方法を自分が提案することは出来ません。

『審判セミナーを開催する』

審判知識を徹底する意味でのセミナーだと思います。これについても参加した十分な伎倆を持つ審判員に「何が足りないのか」「どうしたらいいのか」と、実際的な意見を述べていただく以外、方法がありません。ですから、ここでの提案も自分は行えません。

『試合を裁かせる』

2000年チュニジアの審判委員会会合で、五輪の審判を選出する為の厳しい要求が出されました。果たしてこれに該当する審判員が存在しえるかわかりませんが、なかでも重視すべき点は、この点です。

The Referee must Referee in 2 other high level competitions in 2003 outside their Continent, except Continents that have major high level tournaments.

「1年間、所属大陸以外で行われるIJFが認める大きなハイレベルの大会ふたつに参加して審判を行う(但し、大きなハイレベルのふたつの大会が行える大陸は除外する)」


ところが、現時点でその参加の為の費用や経費を補助する施策までは出されていません。そこで日本として、積極的にこれを支持する方向で具体策を打ち出すのが、現実的ではないでしょうか。それこそ、アイデアを殺すも生かすも最終的には実行力です。

しかし、エゴイスティックな言い方になりますが、これは非常に大きな問題となるのです。

はっきり言いましょう。

技術を向上させたい、つまり「現時点で完成していない審判」の経験を積ませる為に大会での審判枠を用意するのは結構ですが、その試合に参加する競技者の権利はどうすればいいのでしょうか? 国内には少なくとも彼らよりも質の高い審判がいるかもしれません。

将来的に受け入れた方が、柔道競技の発展に繋がりますが、競技会は審判の為ではなく、競技者の為にあるのです。仮に「審判の質的向上は競技者の利益になる」と述べたとしても、現時点で未熟な審判員により不利益を受けた選手が、将来的にその審判員の質的向上の恩恵を受けられる位置にいられるかは、まったくわかりません。

尚且つ、将来の「より大きな利益」の為に、「今を犠牲にする」という考え方は、自分だけの責任でかつ、自分にしか影響が及ばないならいざ知らず、他人に干渉しえる位置にある人間が言うべきではない、欺瞞です。試合で失った利益を、他の試合で取り戻せることなど、競技者の人生ではありえません。

では、どうやって折り合いをつけましょうか。


案1:副審として試合経験をさせる。

主審ともうひとりの副審は大陸の熟練した審判、もうひとりの副審に受け入れ枠を用意します。こうすればある程度リスクを削減できます。尚且つ、補助的に『審判委員制度』を導入してもいいでしょう。なるべく未熟な審判員の試合に影響する余地を減らします。

案2:主審を行う場合、主審の裁量権を制限する

『主審が合議をする必要が無いと判断した場合、合議はしない』或いは『どちらのポイントかはっきりしない場合、主審は開始線を示す必要がある』のですが、今のままでは主審の独断で『必要』を決められます。主審が必要がない事態と判断すれば、困りますので、経験を積んで欲しい人に主審をしてもらう場合、こうした審判ルールのうち、主審の恣意的な部分に制限を行えばいいと思います。このようなテストケースは競技の運営に影響があるかもしれませんが、全体に競技者にとってより高い審判技術を被る機会を与えてくれます。なぜならば、慎重に判断され、再考を促す仕組みの中で行われるからです。

案3:模擬試合

試合を行う前に時間を設けて、大会に出場しない選手たちによる模擬試合(時間は短くする)を数試合行い、観客のいる会場での判定を練習してもらいます。模擬試合やテレビを見ながら判定を下させる練習も当然行うべきですが、それ以上に、会場の雰囲気を経験させるには、こうした機会しかなく、それが試合に参加する選手に未熟さによる悪影響を及ぼさない、唯一の手段と考えます。



(最後に)

いつものようにやや駆け足で、終わります。ホ−ムページは逐次更新できるので、現状で完成させようとの気概が必要ないからなのですが、成長する余地があると思ってください。結構、他の記事と被っている部分も多いんですよね。

さて、以上のいずれかひとつでも提案されなければ、自分は全日本柔道連盟に絶望します。しかし、全日本柔道連盟が日本を代表する唯一の機関であるのですから、そこに何かしらの期待を込めて、再びこのような文章を書くでしょう。絶望してもそこで立ち止まるわけにはいかず、応援し続けなければならないと思います。そうでもなければ、誤審は何度も繰り返し、その度にゼロから物事を考えなければならなくなります。

前回のパリ世界選手権、その前のアトランタ、様々に問題があったと思いますが、その問題が多くの人の目にふれる形で残らなかったばかりに、今回、2000年篠原選手が被害を受けた際、関係者による適切な対処が行われなかったと考えます。はっきり言えば、過去は戻らず、いまさら遅いです。

「何も変わらない」

ですが、そう思っていたら何も変わりませんし、全柔連が何も変わらないままに安住してしまうのではないでしょうか。インターネットではいい意味でも悪い意味でも様々に意見を伝えることが出来ます。そして情報を残しておけます。今後の為に、そして今回の事件が風化しない為に、続けていきます。もしかしたら、今回の経験を糧に、或いは知識を参考にした誰かが、将来の『誤審による被害者の救済』を行ってくれるかもしれないのですから。


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