VTR判定

SINCE 2001/01/11

(はじめに)

誤審対策としてビデオ判定が取り上げられています。そこでどのような事態にビデオ判定が必要とされるのか、それを整理しなければなりません。詳しくは『試合中の抗議』で述べており、繰り返しになりますが、判定には二種類あると自分は考えます。


『主観的判定』

これは「一本」「技あり」「有効」「効果」など技の効果、或いは「消極的な柔道」に対する罰則を与える「判定」の分野です。ルールによって明文化された基準があるのですが、技やアクションそのものは個別に指定されておらず、何に該当するか、「目の前の結果」から「原因」を特定する判断が必要な物です。

例えば「背負い投げの一本」「内股透かしの一本」と技単位で明確な一本の規準は定められておりません。単純にそれぞれ、「一本」ならば「一本の定義」があり、目の前の技がその定義を満たしているのか、判断します。

この判断が主観的であり、人によってはそう見えなかったり、主審の「一本」と副審の「有効」といった判定が二段階違う事例を起こしますし、篠原選手への誤審問題でも、「篠原選手の一本」「ドゥイエ選手の有効」「双方無効」と、柔道の専門家の間でも三種類に意見が分かれました。

同様に、「場外注意」を受ける場合も、「場外に出てしまった」結果があり、そこからその原因が「相手に無理に押し出されたのか」「技から逃げる為に出たのか」、審判の解釈によってペナルティーが生じたり、生じなかったりするものです。消極的と「指導」を与えていくことも、審判の主観による作業です。


『客観的判定』

これは同じく判定ですが、完全にルールに明文化されている「行為」があり、それが適用される事例かどうかは、見た人が誰でも共有できます。例えば『河津掛け』や『立った姿勢から脇固めをかけ、身体を浴びせ倒す』、或いは『片襟』『帯を持って攻撃しない』『防御する目的で相手の足を持つ』など、これはルールを知ってさえいれば、素人が見ても明らかになります。

もうひとつあるのが、「どちらの技か」です。柔道は審判の位置によって見え方が異なり技を掛けたのが見えない角度からでは、反対の選手にポイントを与えることも起こり得ますし、1997年パリ世界選手権の際、北朝鮮のカン選手が自分の『技あり』が、相手のポイントになるといった事故もありました。

こうした問題は主観的判定と異なり、わざわざ「定義」と照らしあわす必要はありません。

シドニー五輪では篠原選手の試合以外でも、微妙な判定はありました。女子48kg級三位決定戦、ベルギーのシモンス選手と北朝鮮のヒョニヤン選手の試合では、両者どちらのポイントか、非常に微妙でした。この技の『効果』が最終的なメダリストととの分水嶺となりましたが、審判員で無い自分には「どちらの技か」わかりませんでした。

こうした「どちらの技として見なしえるか、効果があるのか」は、「どちらか」という点ではある程度「客観的」でありながら、技の有効性を判断する点で「主観的」となります。ビデオ判定が必要とされるのは、A・主観的のみ、B・客観的のみ、C・両方のいずれかになりますが、まずは導入している競技と簡単に比較します。



(導入競技との比較)

現在、このビデオ判定を取り込んでいる競技で、全日本柔道連盟が参考にしたものは大まかに言えば『相撲』『レスリング』になります。資料や知識が無いのであくまでも主観的に見た感想で言わせていただく点をお許しください。

レスリング

テレビを見た際に感じた印象でしかないのですが、『レスリング』でこのビデオ判定が取り上げられたのは五輪四大会連続出場、三大会金メダルのアレクサンドル・カレリン選手の試合ではないでしょうか。

ここでカレリン選手は『反則』を犯したのではないかと試合が中断され、検証が試合場で行われた結果、『反則』が認められ、それによって四大会連続の金メダルを逃しました。この場合、ビデオはルールに明記されている『客観的』な反則を見極める為に、審判の補助器具、或いは『第二の目』として使用されました。

相撲

相撲の場合、どちらが先に地面に着くのかを見極めるのですから、反則やルールをほとんど知る必要がない点で、レスリングよりも視聴者にはわかりやすいです。どちらが先に落ちたのか、それは映像が能弁に証明してくれます。相撲では「物言い」があり、そこでビデオを検証、という形だったと思います。

このようにビデオ判定を導入しているスポーツでは、「映像を見れば誰もが納得できる」形であった場合の判定を、審判員が見逃していないか、或いは疑わしいと思った際に、競技者の利益を守る為に行われます。

野球

テレビ放送でありながら、画面で見た『客観的映像』よりも、『審判の目』を信じる競技はもうひとつあります。今回の誤審騒動で連想したのが、『野球』です。


「これは……入っていますね」
「えぇ、ですが審判には見えなかったのでしょう」

フェンスに当たったのか、それとも外野席に入って跳ね返ったのか、ホームランかヒットかを巡る判定は昨年に限らず、あったと思います。テレビ画面ではそのシーンが再現され、視聴者は「ホームラン」と理解できます。しかし、自分の知る範囲で、野球はビデオ判定を導入していなかったはずです。以前に見たこの場合も、審判は初期の判定を維持(覆さず)、ホームランは消えました。

正直に言いまして、こうした事件が起こるたびに、野球への不信は起こります。野球の審判に対する抗議を見る際に聞くのが、「審判は絶対」との言葉です。確かにそうでしょうが、ミスを避ける手段があるにも関わらず、それを採用せず、テレビ画面の「客観的証拠」と異なる判断を下す審判を、信用できるでしょうか。

野球ではほとんど「誤審」とはされず、流されてしまいます。それでも自分の目には、「審判はミスをしてはならない」思い込み、それこそ「プライド」(「ミスをしないという建前・信用」)が、実際にミスが起きた際の障害となり、「審判の判定は正しい、なぜならば審判はミスをしないからだ」と、なっているように思えます。

この点で、「誤審の問題が起きても放置する」「審判員のプライド」がある部分で、国際柔道での審判員と誤審の問題に重なって見えます。野球はシーズン中は毎日に近いぐらい、連続して試合があり、試合内での誤審のウェイトは比較的低くなりえますが、柔道は試合数が少ない上に、次の日に同じ相手と試合が出来るわけではなく、「一回限り」、それも年単位の間隔で、誤審の位置付けは野球とは比較にならないほど大きくなります。

(導入すべき事例)

現時点で導入されている主な二例で共通するのは、映像が『客観的証拠』と成り得る点です。『客観的』証拠となりえる以外の分野では、基本的に採用されていないのです。柔道における『非客観的』=『主観的』要素とは、審判員による個々の判定です。これについて毎回毎回、ビデオによる技の効果の大小を検証しては、試合の運営はままなりませんし、審判員が3名いる意味も薄れます。こうした形での導入は、明らかに問題があります。

反対に、『客観的』証拠となりえるのが、『反則の検証』と『どちらの技か』です。審判の位置取りによって判定が異なる、ならば審判に正しい位置から判定してもらう、つまり『ビデオの映像』を見せることは、判定の大きさを変えるのではなく、判定の意味合いを変える行為となります。

(導入への反論)

さて、現時点で導入に立ちふさがる問題は、自分の知る限り、「費用」「運営時間」「審判のプライド」「どの大会に使うか」、この4点であると思います。これら四点を日本側が正確に解決できる、或いは解決策を示すことが出来れば、国際舞台でのビデオ判定の導入は可能と思います。


1・費用

非常に高価であると聞いたことがあります。尚且つ、それを操作するだけのスタッフを新たに公式に用意しなければなりません。この点、数字としてあげられないのですが、費用が増大するのは必至です。保管場所、輸送費、管理費など、費用の項目をあげていけば際限ないでしょう。

まず初期投資として日本側がビデオ機器を提供するだけの費用を集めることが出来れば、つまり公約で「日本側が負担する」と言えれば、この種の反論には対処できます。さらに問題としてあがるのは、「どれだけの台数が必要か」ですが、それは『4・どの試合で使うか』で考えます。


2・運営時間

国際柔道連盟(IJF)のジム・コジマ審判理事は8日、日本が検討しているビデオ判定に対し、「現段階ではIJFとして導入する予定はない」と採用に否定的な考えを示した。導入に否定的な理由として、コジマ理事は「ビデオ判定によって試合が遅れ、大会のスケジュールに支障をきたす」との理由を挙げた。(毎日新聞12月8日配信記事)

ジム・コジマ理事はこのように反論していますが、日本側はビデオ判定を試験的に導入し ただけではなく、それが運営にどのような影響を与えるのか、計測する為に、実際に試合の中で使用する意味での『導入』をしなければなりません。

つまり、ビデオ判定を実際に自分たちが運営する試合で使用しない限り、ビデオ判定の試験的導入の意味はありません。ジム・コジマ理事の発言は『感覚』で言っており、事実ではありません。誰も導入していないのですから、あくまでも『運営に支障をきたす』は彼の想像です。データを日本側がそろえておけば、少なくともデータの無い人間よりもその言葉は信用されます。

尚且つ、反対者はそのデータが正しいかどうかの検証を行う必要があり、それはそれでビデオ判定が導入の方向へ進む弾みとなりえます。検証を行い、反証するには導入して、実際に試さなければならないからです。日本側はデータを味方にして、IJF内の支持を得ることは可能と考えます。


3・審判のプライド

『審判のプライド』はビデオ判定に反対します。機械の手を借りるのを潔しとせず、との考え方は正しく、審判員からすれば「自分たちが無能である→だからビデオを補助器具として使われてしまう」と考えていることでしょう。審判を信じて競技が運営される以上、審判のミスを証明しかねないビデオ判定は、審判の権威を損ねるのです。

しかし、審判員とは競技場における何者でしょうか? 権限は最も大きいですが、あくまでも試合する選手あっての存在です。この点を理解せず、競技者の利益(可能な限りミスを避け、正しい判定を受ける権利を最大限に追求する権利)を疎外する壁になるこの言葉こそ、審判員の『間違ったプライド』を示すものはありません。

テレビ化が進展するに伴ない、ある意味で審判よりも視聴者は試合場を観察できるポジションにいます。さらに今後、試合中の映像を巻き戻して再生する機能(現在は一部のビデオ機器やデジタルテレビで可能)が備われば、尚更に観客は厳しい『審判の審判』になるのです。

『これは反則じゃないの?』

客観的基準は誰でもその映像を見れば、反則だと認定できます。シドニー五輪では篠原選手とドゥイエ選手の試合がありましたが、あの時、多くの日本人が怒ったのは、ドゥイエ選手の反則『帯持ちを防御的に使用(持ったまま攻撃しない)』『片襟(同じく攻撃しない・長く持ちすぎ)』を審判員が見過ごした点も挙げられます。

映像として面白さを主張したいのならば、こうした『審判さえも評価にさらされる』点を見過ごしてはなりません。テレビの前の視聴者と同じ視点で立つ、審判員が必要になってくるのです。そうでなければ、『審判員は何も見ていない』と、審判への信頼は著しく低下するのですから。

日本側はこの点を主張する理論に加えてもいいと思います。現場の審判員の反感を買うことは必定でしょうが、審判員の意識改革を求める時期かも知れません。ジム・コジマ理事の方針では審判員に自信を持たせることが重要な用件となっていますが、根拠の無い自信は過信となり、傲慢の温床です。

但し、ここで強調すべきは「審判員のミスを見つけて罰する」為の制度ではないということです。あくまでも審判員のミスを減らし、試合者の利益を最大限に尊重する立場を強調すべきです。審判員がいなければ競技が成立しないのです。ただ、審判員のプライドによって損なわれた選手の利益を、審判員はどのように考えるのか、この点を忘れてはなりません。


4・どの試合で使うか

どの大会で使うか?

原則論を持ち出せば、「すべての試合で」使用されるべきでしょうし、競技者の利益を擁護する立場からすれば、「すべての大会」でも使われるべきです。しかし、現実問題としてビデオ判定を導入するには、機器の購入など、1・費用で述べた問題にぶつかります。完全な公平性を唱えれば、裾野の一歩となる地方の地区大会から、最高峰の五輪まで、すべてで採用するのは不可能です。

今のところ、国際審判規定が適用される試合はIJF管轄の大会と、国際大会、その大会へ出場する国がルールに馴れておく為に国内大会にも採用している、と考えていいでしょうから、これらの大会でのみ適用する、或いは誤審の問題が取り沙汰され、注目を集めるのは五輪や世界選手権といった世界レベルでの大会ですから、それらの大会にまずは限ってみるのが妥当です。

原則論で平等性を唱えては、どの大会にも採用できなくなります。まずは『どの大会から採用できるか』『採用して欲しいか』の視点から考えていいと思います。柔道の大会は現時点で『五輪』と『世界選手権』を頂点としています。尚且つ、この二大会は世界中の国々の威信をかけた戦いでもあり、選手の戦いは国を代表した重さを持ち、その将来にも関わる比重を占めるものです。

そして、我々日本人があまり信用できない『IJF国際審判』がすべての審判業務を担当するのも、これら試合です。ですから、『その大会の持つ重さ』と、『未熟な審判員が紛れ込む余地がある今までの経験』から、これら大会にまずは限定します。

大会の重要性で使われる場合を絞ったのですから、同様に『重要な試合(メダルがかかる試合)』に限定してもいいのですが、それではビデオ判定の導入の意義、誤審からの選手救済策の意味は薄れます。

機械の台数ですが、専門家ではないのでひとつの試合場に必要な台数はわかりませんが、試合場に必要なビデオのセット数は、2面で行う世界選手権では2台、4面の世界選手権では4台、そしてそれに必要なスタッフ、ということになるでしょう。

ここでふと思ったのですが、世界選手権は一日に4試合、だいたい4面で行いますが、審判委員は6人ですから、ひとつひとつの試合場にひっきりなしについていることになりますよね? これは現実的ではなく、IJFは制度をどう考えているんでしょうか? 審判委員のみでまかなうのは無理だと思うのですが……


どの試合で使うか?

逆の視点で考えましょう。『どの試合で使われるべきか』です。何度か述べましたが、使われるべきケースは幾つかに分類されます。まず「判定」の大小についてですが、これは正直な話、野球で言う「ストライク・ボール」すべてにビデオ判定を導入するぐらいの物だと思えます。もしもこの形での導入をすれば、以下のマイナスが挙げられます。
1・試合場に審判員が存在する意味が無い。
2・運営に支障をきたす頻度となりえる。

そうなると、必然的に客観的証拠、つまり審判の目には見えないものの、審判員がその映像を見て納得できる分野に該当します。

A・どちらの技か

これは直接勝敗に左右します上に、ある意味では「自分の技で負ける」可能性さえも生み出します。篠原選手が受けた、或いは北朝鮮のカン選手が受けた甚大なる被害を後日に残さない為にも、この点は強調されるべきです。

ただ、ここでも微妙なのが、『その一連の動きが果たして、どちらの技かわかりにくい状況か』と、誰が判断して、誰がビデオの使用を促すかです。現時点でその引き金を弾くのは審判委員が適切ですが、この前提は審判委員がすべての角度、つまり『主審が見た角度』に加えて、最も適切な角度からの映像を見た上で、再考を促す、との形になると思います。これは審判委員の権限強化にも繋がります。

B・反則

視聴者の心理を掴むのではなく、せめて逃がさないのであれば、テレビ視聴者と同じ情報を共有した視点で、『視聴者が気づきえる反則を審判員が即座に指摘しない場合』に限って、審判委員による『催促』もしくは『試合の中止』を告げ、該当する反則を主審に宣告させるという方法です。この場合、ビデオは主審及び会場に対して示され、柔道の試合がわかりやすいものにはなります。

コーチの抗議方法として、この審査を『審判委員』に促せる権利を与えてもいいかもしれません。とりあえず、ビデオの値段とスタッフの必要数、及び試合での導入事例(個々の判定、或いは不明瞭な場合のみ、両方など)、誰が「ビデオを使用する引き金を弾くか」などの枠組みを固める必要があります。個人的にそうした「契機」は部外者であり、他の視点に立つ審判委員が行うべきだと思いますが、人数的な問題(審判委員は6人)がありますので、彼らにこだわる必要性はまったくありません。



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