嘉納杯国際大会を見て


SINCE 2001/01/19
大きな会場での試合観戦はこれで三度目になります。元々テレビで柔道の試合が放送される場合は概ね見ていましたが、それでも空白があったり、他の趣味にはまったりと、それほど熱心な応援者ではありませんでした。

子供の頃は何度か、自分自身が参加者として地区の大会なんかも見る機会はありましたが、今にして思えば残念なことに、自分は「お手本」を持てず、憧れる選手という存在を辞めるまで持てませんでした。

シドニーオリンピックで燃え盛った火が消えず、「柔道をもっと知ろう」とばかりに11月の講道館杯(警視庁武道館)、12月の全日本団体(講道館)へと足を運び、ついには(全日本プロレスの?)聖地・日本武道館へと趣き、国際試合まで見るようになっていました。

柔道の面白さはいまさら書く必要も無いと思うのですが、さらに楽しめるようにと、自分の見方をここで伝えられたらと思います。

(試合前情報)

篠原信一選手

欠場です。持病の腰痛との兼ね合いで体調を整えられず、10kgも体重が落ちたとの報道がありました。引退を二度、決意されたともいい、体力的にも精神的にも欠場は止むを得ないものでした。

ファンとしてはその姿を見たかったのですが、今は、そしてこれからも決断を急がないで、ゆっくり休んで欲しいなと思います。アトランタ五輪の後の古賀選手のように、一年後、二年後、競技の現役復帰をされてもいいですし、とにかく、休んでいただきたいなというのが本音です。

井上康生選手

篠原選手との全日本選手権以来となる決着を夢見ましたが、シドニー五輪後の周囲の変化によるストレスで、心臓にトラブルを抱えてしまったそうです。山下泰裕氏の話では99年世界選手権後にもそうした症状があったとのことで、今回は欠場です。

ファンがプライベートを乱すことが多くあったようで(文藝春秋『Number』インタビュー)、この点、選手を好きだからこそ見守るに留めるだけの配慮が、求められていると思います。尚、オーストリア国際大会への出場は決まっているそうなので、応援します。昨年度のヨーロッパ国際派はフランス国際に参加、優勝の実績でした。

鈴木桂治選手

井上康生選手にシドニーで水をあけられましたが、100kg級ではこの選手を忘れてはなりません。講道館杯3連覇、井上康生選手に最も近い、或いは並んでいる選手です。直接対決を思い描きましたが、突然、出場者リストから消えました。その原因は大会会場配布のパンフレットに書かれており、「怪我」とありました。

100kg超級 篠原信一選手と棟田康幸選手
100kg級  井上康生選手と鈴木桂治選手

試合前に期待された図式の3要素が既に崩れてしまっていましたので、本来、運営者側が意図した盛り上がりを欠いた大会になりました。ただ、その分、体重の軽い選手に注目が集まりました。瀧本選手、中村兼三選手です。

(会場)

日本武道館に入るのがそもそも初めてで、観客席から試合会場まで意外と近かったです。今回は据付のオーロラビジョンがあったので、それが見やすい位置に腰掛けました。また今までの反省から自分にとって広い視界の側は通路になるように心がけました。

これは、隣りにいる人が頻繁に身を乗り出す迷惑な人であった場合、視界を遮られる為です。講道館での全日本団体はまさにその人に遭遇し、試合が見れない事態が生じました。『自分が見える位置に身を乗り出す=他人の視界が変化する』この当たり前を無視して、柔道に詳しそうでとくとくと話したおじさんが僕の視界を塞いだのは嫌でしたが、今回は今までの位置とりから考えると、最高のポジションでした。

(朴会長)

いたんですね、誤審問題が無ければ、ここまで注目を集めなかったでしょう。ヘーシンクIOC委員と一緒に並んでいました。篠原選手への誤審に対する態度といい、カラー柔道衣といい、この人、何かと日本人の気に障りますが、なかなかいい人そうでした。

1.朴会長はさびしげ……

周囲の人を率いて話の中心にいるのかと思いきや、やや暇そうに周囲を見渡していたりしていました。部下のMoon氏を呼び寄せてみたり、なんとなくかまって欲しそうな態度をしていたり……組織の長も、人の子なんですね。

2.朴会長 with マイカメラ

かなり本格的な大きさのカメラを取り出して、待機しています。試合が始まると(午前中は姿を消しましたが)、マイカメラでスタンバイ。「待て」が入るとカメラを下げて……かなりのお茶目さんです。「一本」を写させてあげて、試合者さんと願わずにはいられないほどの熱心さでした。

3.朴会長も休憩時間は暇なのだ

柔道の試合、今回は特に早く終わってか、合間が長いんです。テレビ放送の時間が決まっていますから、予定を早められないんでしょう。午前中の試合は一時間、午後Tの試合もそれぐらい早く終わり、間に何も無いので暇すぎです……

その休憩中、朴会長はしきりにあくびをしていました。会長なんですから、今度からは何とかしてくださいね。とはいえ、商業目的の宣伝でもされようものなら困ります。今、IJFページでスポンサーを募集していましたが……

(試合:第〜試合は適当です)

さて、記憶する限りに深めていきます。

試合場1/試合場2


(矢部里の期待)

1.世田谷学園

今回、楽しみにしたのは世田谷学園同期『小斉・瀧本』両選手、及びその後輩になる棟田選手の試合です。特に試合の配置で順当に進めば、すぐにも決勝トーナメントでは小斉・棟田の先輩・後輩の試合が見られるはずです。

体重と現時点での勢いでは棟田選手が小斎選手に勝っていますが、小斎選手も100kg級講道館杯3位と、まだ世界選手権出場への目を残しています。特に、ここでひとつ上の階級で世界で通じる棟田選手(尚且つ99年全日本2位)に勝てば、井上・鈴木両選手が突出した100kg級の代表争いの絶好のアピールになります。

世田谷学園はいつもあまり大きくない選手ばかりという印象があり、それでも団体戦で常に上位にある点が大好きです。大好きな古賀選手、吉田選手、そして小斎・瀧本選手、泉選手など、日本刀のような業の切れ味で戦うイメージが強くあります。今回、棟田選手も出場されており、世田谷学園ここにありといった感じです。

2.下出選手の壁

また、講道館杯のストーリーがあります。高井選手は下出選手に負けており、二ヶ月で訪れた再戦の機会をうまく生かせるかどうか、気になりました。残念ながら講道館杯優勝の高橋選手は駒を進められませんでしたので下出選手は講道館杯からの再戦を果たせませんでしたが、それでも2位の江上選手がいます。(高橋・江上両選手は中央大学出身です)

尚且つ、もうひとつ気になったのが、「棟田・下出」戦です。棟田選手は2000年の全日本選手権で下出選手に完封に近い試合をされました。下出選手は腕を伸ばし、リーチを生かした間合いで棟田選手をまったく懐に入れさせません。カウンターが多い棟田選手は自分から攻めようとしたところを逆にポイントを奪われ、それで敗退しました。1999年は篠原信一選手と決勝を争っただけに、ここで再戦があれば、必ず勝ちたかったところでしょう。

「高井・棟田」両ホープ選手が超えるべき壁として、下出選手はこの嘉納杯の前から立ち塞がっていたのです。とはいえ下出選手は消極的に見え、全日本選手権準決勝の井上康生選手との試合ではほとんど何もせず負けていましたが(同じ東海大学とのことでやりにくそうでした)、講道館杯や12月の全日本団体では旭化成の大将として一本勝ちを取れるだけの試合展開を見せてくれました。

3.無差別の醍醐味

下出選手は井上選手に「一本」を許さなかったので非常に「固い」印象がありますが、全日本団体で一試合だけ、一本負けを喫しています。国士舘大学の市ノ渡秀一選手が目の覚めるような内股で下出選手から一本を奪ったのです。一本を奪えない相手ではないのですから、棟田・高井両選手の逆襲が自分の中でひとつのテーマでした。

もうひとつ、講道館杯100kg超級を制した高橋宏明選手ですが、彼もまた、綺麗な「技あり」を奪われています。それは新日本製鐵の90kg級高橋徳三選手です。確か体落しだと思うのですが、切れ味によっては30kgの体重差もカバーできた事例です。吉田選手が中量級の体格で全日本選手権2位になっていますから、今回、この階級の選手は大きなチャンスがあったと思います。

瀧本選手は残念ながら見に行った大会で出場の機会が無かったのですが、高校時代の活躍を聞くと、無差別向きの性格をしているのではないかと思えます。特に本人が前向きに、「今は無差別しか頭に無い(後日、世界選手権よりも全日本選手権を優先する発言もありました)」と言っていますので、期待は大きかったです。古賀選手が全日本選手権で戦ったときも、会場の雰囲気はこうだったのかなと……

決勝トーナメント以降へ続く……




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