○主審三人制を検討する

SINCE 2001/12/27
この制度の存在を知ってから、想像力と常識を駆使した限りにおいて、篠原選手のケースでの誤審には有効に機能しないと、『主審三人制にて思うこと』で書いてきましたが、今現在の印象と、増えてきた情報について、整理してお伝えしようと思います。

個人的に主審三人制は誤審軽減に役立たないと論証しましたし、その意見を変えるだけの判断材料は残念ながら存在しませんが、感じたままをある程度書いておくことで、この試みが無意味ではなかったと、分析しようと思います。


(試合場での印象)

実際にこの制度が用いられたのは、「正力松太郎杯」と「講道館杯」です。主審の判定と同時に技の判断を副審も下すそれは、非常に見栄えが良く、三本手が揃って真上に上がったときは、壮観なものでした。

主審三人制は見栄えの面では、判定がそろう限りにおいて、有効です。

これだけではほめているのかけなしているのかわかりませんので、試合運営について踏みこみますが、主審三人制は、運営上は明らかにプラスです。

統計を取っていないのでわからないのですが、主審が必ず副審の判断を見るように意識することにより、主審が気づかない欠点が減ります。

また判断がわかれる難しい判定の場合、三人の判定がばらつくことは総合的に見てあまりいいものではありませんが、試合をしている選手にとっては、「自分の技が評価されている」と、仮に2対1でその技が無効とされたり、効果が無いとされても、心理的にプラスになるのではないでしょうか?

印象でしか有りませんが、主審三人制によって、随分と試合場の脇にいるコーチや部外者の判定への抗議が減少しているように思えます。これも上述の心理と同様に、「なんで認められないんだ」という抗議の心理が、ひとりは認めている事実によって、抗議をするまでに至らないぐらいに緩和されているのでは、と推測します。

もちろん、正確なデータが手元には無いですし、アンケートをしたわけではないのでわかりませんが、とりあえず主審三人制のメリットは、この辺りの「透明性が出ることで抗議が減る」ことにあるのではないかと、考えます。


(現場の声)

しかし、です。自分は今まであくまでも観戦サイド、部外者として検討してきましたが、2001/12/22発売の『近代柔道』2002/01号の、木村秀和氏による実際に現場で審判をされた方の声を聞いた記事では、明らかに不評でした。

『これまでも判断が違う場合は副審は自分の意思を表していた。同時にやるということにはそんなに意味がない』

『自分が主審の場合、副審がゼスチャーを出すことになるが、そういう時は気になってやりづらい』
(『近代柔道』2002年01月号:P32木村秀和氏著作)

『選手を避けるために立ち上がっての椅子外し、場内外のジャッジ、技の判定と副審は3つを同時にやることになるので疲れる』

『対角線の向こう側で決まった技など選手の体で見えないときがある。それでも同時に必ずゼスチャーを出さなければいけないのはつらい』

『従来のやり方だと主審の判断と、副審の判断との間にグレーゾーンというか許容範囲を考慮してジャッジもできたが、同時だと瞬間的に3人が自分の考えを表明することで責任が重い。倍疲れる』
(『近代柔道』2002年01月号:P33木村秀和氏著作)


疲労度が高いですが、まず副審からすればすべての技で主審と同様の動作をする必要がある為、疲れます。また本来は主審と異なった場合にのみ判定を示せばいいのですが、選手が目の前に来て、椅子をどけてよけている時にも、同様に判定を下さなければならない、と心理的に思わせられることなどが疲れるとあげられます。

自分は見る側の人間ですから、「緊張感が増し、透明性が高まる」と述べた部分でも、主審にしてみれば常に副審の動きを意識しなければならず、尚且つ、副審が判定を下すので副審の視界を遮らないように気をつけ、今までよりも神経を使います。

また反対側の角度で技が施された場合、見えないにも関わらず、判定を下す必要が出てきます。これは自分も述べましたが、例えば篠原選手のケースでは、まったく見えないと言っていい位置の反対側の副審と、目の前にいたので一本をあげた副審の判断価値が等価にされてしまう、ことです。

さらに自分は「主審の判断に引きずられず、生に近い判定を下せる」と書きましたが、現場では「主審の判断に納得でき、あえて自分の判定を出す必要も無い」ケースでも、無理に自分の判断を捻り出さなければならなくなる、この点で誤審軽減にはならないとの意見もあります。

木村氏が従来の副審が座る審判制度に否定的であるとはいえ、ここまで現場審判のインタビュー記事が否定的では、「決定したトップは何を考えているのか?」「ほとんどすべてが想定しえる事態にも関わらず、なぜ実行に移したのか?」という問題にまで発展しておかしくないですし、逆にこうした現場の意見を上部が汲み取らないシステムなのかとも、危惧さえありますインタビュー結果です。

見る側(自分ですが)からも、現場からも、主審三人制は批判にさらされています。

(木村秀和氏の提案)

木村氏は以前から何度も口をすっぱくして、副審が動き回ることを提唱しています。氏はボクシングのライセンス取得者という個人的経験もあるでしょうが、判定を下す際に、副審が死角となり得る角度からも動かず、椅子に座って判断を下す点を、非難しています。

『やはり審判員は選手の動きに応じて、副審との三角形の頂点に立ち、機敏に動き回ることが必要である。過去の誤審の状況を考えると審判員の位置、角度が主原因だったからだ。「はじめ」と言ったきり、ほとんどその場から動かなかったり、じっと選手を見つめているのではなく、俊敏な動きが必要だ。審判員はみな、有段者なのだから、組み手や体の位置によって、見る位置を変えなければ意味が無いことを最も理解しているはずである。

遮蔽物がない畳の上で柔道は行われる。柔道は剣道やボクシングなどの対人格闘競技を始め、ラグビーやサッカーなど、あらゆる競技の審判員がどう体を動かしているか、学ぶ必要があるのではないだろうか?

(『近代柔道』2002年01月号:P33木村秀和氏著作)


木村氏の言葉はひとつひとつが最もでありますが、こうした意見を反論もせず、封じようともせず、検討もしないことに、全柔連の誤審への意識が出ている気がします。誰の意見であれ、有効であれば検討すべきです。

木村氏は『近代柔道』の主要なライターですから、部外者と言いきれない距離ですが、こうして言葉が無視されていると、全柔連は「自分たちで選んだ方法でなければ嫌」なのかもしれません。

筆者はたまたま今年、剣道の全日本選手権を見ました。剣道では三人の審判が始終動き、同時に判定を下します。階級別の柔道では試合数が多く、一概には論じられませんが、三人が動き回っても、思ったよりテレビの視界は遮られませんでした。

柔道が目指す主審三人制の部分的な原点が、等価値に判断を下す剣道を模倣している可能性はありますが、仮にそうだとしても、剣道ではすべての人が動いています。正三角形を描くように…時として20分に及ぶ試合も、審判は裁いています。

木村氏はこうした点も、踏まえて意見を述べていると思いますので、今回、著作権範囲内の引用ではありますが、参考の為に、多くをそのまま掲載させていただきました。


(今後)

収集したデータを元に検証していると思うのですが、その後の予定についてまったく耳に入ってきません。日本が主審三人制を真に有効で且つ効果的と信じるならば、自らが主催する「福岡国際」「日本国際」で俎上に載せるべきですが、そうした気配は見られません。

主審三人制の脆さは、その論理的根拠が見出せないことです。なぜ生まれたのか、どのような必然があったのか、現場の声は否定的、にも関わらず実施された現状、答えは始めから見えていたはずです。こうした土台の部分が曖昧な為に、曖昧な土壌には曖昧なものしか育たず、今も自分には不明瞭にしか見えません。

成果の出ない努力は時として自己満足に終わります。誤審を軽減し、選手が味わう痛みを無くして行こうとするのならば、まだまだ他にも検討すべき余地は多いのですが、この辺り、「ビデオ判定」も研究したという話は聞いても、後日談を聞きませんので、「誤審解決への努力はした」というポーズにしか見えませんのが悲しいところです。

どのような意図でそれをしているのか?

前述しましたが、主審三人制度は国際柔道連盟が実際の導入をしない段階で既に、「審判の負担が大きいので現状維持」と述べた結果に、まっすぐ進みそうです。

篠原選手のケースの誤審では意味をなさないとの立場上、このまま何も無い方がいいのですが、今後の成果発表に期待でもしなければ、今までの対策があまりにも情け無いという帰結になるのが、やりきれません。

こうした結び方をした文章が後日、別の形で書き直せることを期待しています。


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