朝食を済ませ、仕度をして玄関に並んだ。
ビデオを手にした弟に向って、彩夏が「今日も、元気で、頑張ります!」と、大きな声で言っている。
この分なら、彩夏は大丈夫そうだ。
心配なのは、この二日間睡眠不足のクーちゃんママの方だ。
休みながら、ゆっくり歩こうと思う。

 雨に濡れたレンゲツツジがとても美しい。
雨の朝にもかかわらず、弥四郎小屋前の無料休憩所は賑わっている。
案の定、竜宮小屋も込み合っていた。
このまままっすぐ行けば、山の鼻まで山小屋はない。雨の中で休憩することになる。
出来れば、屋根のあるところで椅子に座り、温かい飲み物を飲みながら休みたかった。

「ね、少し遠回りになるけど、右折して東電小屋へ行って休憩しようか。向こうの道の方が、人も少なくて歩きやすいと思うけど…。もう少し歩ける?」と聞くと、クーちゃんママも大丈夫だと言う。
竜宮十字路を右折して、ヨッピ橋方面へ向うことにした。

ヤマドリゼンマイの若葉とレンゲツツジに囲まれた木道を、おしゃべりしながらゆっくり歩く。
思っていたとおり、誰にも会わないので、、のんびりマイペースで歩ける。
ヨッピ橋で記念写真を撮り、ヨシッポリ田代へやってくると、途端に木道が傷んでいた。
穴が空いていたり、斜めに傾いていたり、片方の木道が半分欠けていたり…。

昨日一日で大分木道歩きに慣れた彩夏も、斜めに傾いた1.5メートル程の橋を渡る時は「怖い〜。」と言った。

「大丈夫、さぁ、手をつないで、カニさん歩きで渡ろう!イチ、ニ、イチ、ニ…。」
彩夏の小さな手を握り、並んで横歩きで橋を渡っていると、彩夏の足が途中で止まった。

「あ、お魚だ!横浜ママー、お魚がいる!」
…彩夏、怖いんじゃなかったの?

「ホントだ〜、イワナかな。さ、もう少しだよ。頑張ろう。イチ、ニ、イチ、ニ…。」

無事に渡り終えると、すぐに大きな穴が開いている木道が目の前にあった。

「滑らないように気をつけて、お隣の木道に移ってから歩きなさいね。」と言うと、言ったとおりに上手に危険箇所をやり過ごす。

「よく出来たねー。」と褒めると、次の難所では「ねー、見てて〜。」と言って積極的にクリアーしていく。

「スゴイねー、彩夏!」と言うと、ますます調子に乗る。
まったく〜、ちょっと褒めるとこれなんだから〜、お調子者の家系はウチじゃないな…と、チラッとクーちゃんママを見た。

 東電小屋別館の一階にある休憩所は空いていた。
顔見知りのスタッフが「コンチワ!」と言ってくれる。
5月下旬に泊った時、お爺さんが使っていたペンタックスのマニュアルカメラを、今は自分が大事に使っていると見せてくれた彼だ。
15分ほど休憩して元気を取り戻し、再びヨシッポリ田代へ向った。
雨がやみ、カッパを脱いだので風が心地よい。

「ねー、見てて〜。」また、彩夏の声が響く。

「ボロの木道って楽しいね。」

昨夜の涙がウソのように、彩夏の表情は晴れ晴れとして声が弾んでいる。
ミズバショウの大きな葉を見て大喜びだ。
レンゲツツジの花がさかさまにぶら下がっているのを見つけると、「横浜ママー、風鈴みたいなの見つけたー!」と大きな声で私を呼ぶ。

彩夏と睡眠たっぷりのパパは、手をつないで先を歩いていた。
クーちゃんママは、さすがにお疲れ気味だ。
黙々と歩いている。
次はどこで休もうか…と、考える。

ヨッピ橋を渡って、三又方面へ暫く行くと、左側にぐるりと一周出来る一角があり、5〜6人の家族連れが休憩していた。
私たちもそこで休んでいくことにする。

「おはようございます。私たちもここで休ませてください。」と声をかけ、木道に荷物を降ろす。

クーちゃんママは早速、「この子が一生懸命歩くものだから、私もつられてここまで歩いてきました。」と、お父さん風の人に話し掛けている。

「ちっちゃいのに、ちゃんと登山靴を履いてて偉いですねー。ウチの子は、さっきから足が痛いって言って歩こうとしないんですよ。」と、10歳くらいの男の子の足をマッサージしていたお母さんが言う。

尾瀬のベンチには、今まで全然知らなかった人と気軽に世間話が出来る雰囲気がある。
クーちゃんママの疲れも、いくらか緩和されそうでホッとした。

彩夏は、大人の話には全然興味が無い。
池塘をジーっと見ていたかと思うと、湿原を覗き込み、植物図鑑とにらめっこしている。

そんな彩夏に、別のおじさんが、「これ、何という花なんだい?」と聞いてくれる。

「それは、ヒメシャクナゲって言うんです。ちっちゃいけど、木なんです。」と、彩夏が答える。

「へ〜、お嬢ちゃん、よく知ってるねー。将来は植物学者だな。」と、優しいおじさんはオーバーに褒めてくれる。

彩夏は、植物学者がどんな人なのか知らないので、嫌〜な顔をして「違うもん!彩夏はアヤカチャンなのー!」と答えていた。

おじさんは、「そうか、そうか、アヤカちゃんか。」と、笑っていた。

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第五章:木道歩きは楽しい
第五章