家族連れと別れて三又まで行くと、さすがに人がたくさん居た。
タイミングよくベンチが一つ空いたので、荷物を降ろして休憩する。

「いいペースで歩けているから、帰りに温泉に寄れそうだね。」と私が言うと、温泉好きの彩夏が「温泉?やったー!」と喜ぶ。
「プールみたい?」と聞くので、「うん、広いから泳げるよ〜。」と答えながら、どこの温泉がいいかなーと思い巡らした。
戸倉の玉城屋さんのお風呂もいいけど、プールみたいなところだと白沢温泉望郷の湯かな、それとも、花咲の湯まで足を延ばそうか…。

 突然、「危ない!」という声がしたので振り向くと、60前後のおばさんが頭から湿原に落ちていた。
「大丈夫ですか?」とすぐに駆け寄ると、「あ、あー、大丈夫。大丈夫です。」と言って起き上がった。
落ちた本人も、何が起こったのか理解できないような困惑した表情をしている。
特に怪我は無いようだ。

そこへ、「何やってんだよ!おまえがよそ見して歩いているからだろ!」と、ご主人らしい人がやってきて、抱き抱えるようにして竜宮方面へ連れて行った。
大勢の人に見られて、ご主人は照れくさかったのかもしれないけど、もう少し優しい言い方ができないのかなーと思った。

ベンチに戻ると、ミズバショウの絵を描いていた彩夏が顔をあげ、「よそ見して歩くと危ないよね〜。」と、ボソッと言った。
…それはそうだけどね…、4歳の子に言われたくはないわよね〜。
遠ざかるおばさんが少し気の毒に思えた。

 山の鼻で最後の休憩を取った。
ビジターセンターへ行き、七五三木(しめぎ)所長を訪ねる。

「あのね、わたしね、尾瀬大好きになっちゃったー。」と、彩夏が言うと、
「あれ、すごくおしゃべりになったねー。そっか、尾瀬が大好きになったか…。じゃ、このお姉さんと一緒にまたおいで。」と、七五三木さんが答える。

ま、お姉さんだなんて…、七五三木さんは、なかなかいい人らしい。
私は気を良くして、山の鼻を後にした。

 山の鼻から鳩待峠までの階段の登りは結構きつい。
クーちゃんママと私は、ゆっくり歩くことにした。
彩夏はパパと手をつないで、「イチ、ニ、イチ、ニ」とリズミカルに登っていく。
一見、仲の良い親子が並んで歩いているという風に見えるが、運動不足の弟が彩夏に煽動されているのは明らかだ。

「彩夏ー、パパが疲れちゃうから、ゆっくり歩きなさいよー!」と、呼びかけるが、私たちとの距離は離れるばかりだ。
しょうがないな…。

鳩待峠に着くと、『尾瀬』の看板の前で、彩夏が「やったー、やったー!」と言っているところを、弟がビデオに撮っていた。
休憩所で、大好きな花豆ジェラートを注文する。
小豆アイスに似ているが、それより少し甘さ控えめ…というような味だ。

クーちゃんママは疲れているはずなのに、椅子にも座らず土産物売り場に直行した。
あらら…、そういえば、買物が大好きだという話だったわね、と思い出す。
彩夏も、お母さんにミズバショウの形をしたマグネットのお土産を買った。そう、冷蔵庫にペタンと貼るものだ。

 日曜日なので、人数がすぐに集まり、たいして待つこともなく乗合タクシーで鳩待峠を出発できた。
クーちゃんママと私が並んで座り、私たちの前の座席に弟と彩夏が座った。

「あー、さすがに最後は疲れた!彩夏と一緒だったから歩けたけど、一人で来てたらあんなに歩けなかったなー。」と、クーちゃんママが言う。
「最後の登りがちょっと大変ですものね〜。それに、たくさん歩くコースを選んじゃったし…。」と、私。
「ホントに尾瀬はいいところだね〜。一度行ってみたいってずーっと思ってたから、一緒に連れて来てもらってよかったわ〜。」と、クーちゃんママがしみじみと言う。

「帰りに寄る温泉がまた気持ちいいんですよ…。湯船が広くてね…」と私が言いかけた時、
弟が突然振り向いて、「彩夏、寝た!」と言った。

並木駐車場に到着しても、彩夏は起きない。
「温泉は無しだね、このまま家に帰ろうか…。」ということになり、一路東京を目指した。
沼田街道沿いで焼きとうもろこしを買って、香ばしい匂いをぷんぷんさせて車の中で食べたが、彩夏は全然起きなかった。
尾瀬を歩いている夢でもみているのだろうか…。
やっと目が覚めたのは、あと10分程で家に着くという頃だった。

玄関で待っていた義妹が、彩夏に「どうだった?」と聞くと、「おかあさん、尾瀬、とっても楽しかったー!」と言った。
私がこの一言でどんなに喜んだか、わかっていただけるだろうか?

 こうして、彩夏の尾瀬デビューは終わった。
翌朝元気に幼稚園へ行き、早速クラスで尾瀬ごっこをして遊んだという。
彩夏が来年も尾瀬へ行くかどうかはまだわからないが、気に入ったことだけは間違いないようだ。
弟はにわかにアウトドアファミリーを目指し始め、「貸してくれたザックって何リットルだった?雨具はやっぱりいいものを買っておいた方がいいよね?」と電話がかかってきた。
「道具も大事だけど、体力つける方が先だよね。」と、アドバイスした。

おわり。

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