冷えた体をお風呂で温めている間に、雨は小降りになっていた。
「夕食までまだ1時間近くあるから、コーヒーでも飲みに行かない?」と誘うと、弟が「それがいいね、このまま部屋に居ると寝てしまいそうだよ。彩夏を夕食まで起こしておかないと…。」と言うので、喫茶店行きが決まった。
弥四郎小屋に隣接している湧き水は、尾瀬に何ヶ所かある湧き水の中でも一番美味しいと思う。
だから、当然コーヒーも美味しい。私はここのモカが好きだ。
尾瀬小屋のサンダルを借りて喫茶店に行くと、中には誰も居なかった。
カウンターの上に置いてある鈴を鳴らしてスタッフを呼び、コーヒー三つとホットミルクを一つ注文する。
雨があがり、思い思いに散歩している人たちが窓越しに見える。
「明日は晴れるといいね〜。今夜このまま晴れたら星が綺麗だよ。」
「こういうところなら、星がたくさん見えるだろうね。」
「起きていられたら、見たいわねー。」
ふと、彩夏の方に目を向けると様子がヘンである。
スローモーションのような動作で、両足を長椅子の上に持ち上げている。
目はトローンとして、あっという間に横になってしまった。
手足を触ると、ぽかぽかしている。
あ〜あ、夕食まで起こしておこうと思ったのに、寝てしまった。
頑張って歩いたものね…仕方ないか〜。
私は、自分のコーヒーと彩夏のミルクを一気に胃の中に流し込み、彩夏を背負って一足先に尾瀬小屋に戻った。
30分後に夕食の放送が入った。
眠っている彩夏を再び背負い、一階の食堂へ行く。
まだ4歳とはいえ、眠っている子供はずっしりと重い。
弟とクーちゃんママの間にある椅子に彩夏を座らせたところで、彩夏が目覚め、これで夕食を食べさせられるとホッとする。
夕食を終える頃には完全に目が覚め、部屋に戻った彩夏はパワー全開だった。
おしゃべりな彩夏の相手をクーちゃんママに任せて、いつでも眠れるようにと布団を敷く。
まだ、18時を過ぎたばかりだ。
外は再び雨が降り出していて、今夜は星は見られそうにない。
布団の上に横になると、大人三人の声はだんだん小さく言葉少なになっていくのに、彩夏の言葉だけが部屋に響いている。
彩夏は、今日見たミズバショウの葉っぱがスイカの模様に似ていたことや、花茎がぶどうに似ていたことを話し、「コウちゃん、ぶどう大好きだから、ぶどう、ぶどうって言うんじゃない?」と続けた。
「そうだね…。」と適当に返事していると、「クーちゃんママ、オコゼホネって言ったんだよね?オコゼだって、面白い〜。」と、クスクス笑う。子供はしつこいのだ。
そして、今日覚えた花について、丁寧に解説付きで話し続ける。
「ミズバショウは、お水が大好きです。それと、葉っぱがバナナの葉っぱに似ているからミズバショウという名前なんです。」
ふん、ふん…。
「紫の小さなお花は、タテヤマリンドウと言います。お日さまが当たると、お花が開きます。」
うん、そうだよ…。
「白くてフワフワしているのは、ワタスゲと言います。あれはお花じゃなくて、実なんです。雨で濡れるとぺったんこですけど、乾くとフワフワになります。」
うん、今日はフワフワのが見れて良かったね…。
「ピンクのかわいいお花は、ヒメシャクナゲって言います。あれはちっちゃいけど、木なんです。」
「オレンジのお花は…。」
意識が遠のいていく私の耳に、突然、「彩夏、泣いてるの?」というクーちゃんママの声が聞こえてきた。
「泣きたくないのに、涙が出る〜。」と、彩夏が小さな声で答える。わずかに声が震えている。
彩夏、我慢してたの…?
心配していたとおり、やっぱり、夜はお母さんがそばに居ないと心細いんだね…。
パパも、クーちゃんママも、横浜ママも一緒だけど、夜寝る時はやっぱりお母さんが居ないと寂しいよね…。
雨の中をずっと頑張って歩いて、知らないおじさんやおばさんにも「偉いねー。」って褒めてもらったけど、まだお母さんに褒めてもらってなかったものね…。
寂しいの一生懸命我慢しておしゃべりしているのに、みんな先に眠っちゃって…、ごめんね、彩夏。
彩夏は結局泣き寝入りしてしまった。
弟はこんな出来事があったことも知らず、部屋の入り口近くで爆睡していた。
翌朝は、生憎の雨だった。
空が明るいのが、せめてもの救いだ。
クーちゃんママと私は、あの後あまり眠れなかったが、弟は「あー、よく寝た〜!」と、すっきりした顔をしている。
彩夏は一番遅くまで寝ていたが、目覚めるなり、にこーっと笑った。
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