経歴不明の五輪審判

SINCE 2001/02/11

(大会の比較)

審判の質的向上を唱えるIJF。バーミンガム世界選手権では目立った誤審騒動がなかったので、あの大会は成功した大会と仮定します。なぜ仮定するかといえば、今回のシドニー五輪での失敗と比較をする為です。

1997年パリ世界選手権の極端な誤審以来、3年ぶりともなる大きな誤審がシドニーで多発したのは記憶に新しいところです。篠原選手以外にも向けられた以外にも、非常に怪しげな判定、反則を見過ごし続ける、主審と副審の判定が『一本』『有効』と二段階にわかれるなど、拙劣を極めたといっても過言ではありません。また、単純に崩れた技を『かけ逃げ』と断じ、それが決勝点となる試合もありました。

ところが、シドニー五輪の審判は、原則的に五輪前の世界選手権で評価をした上で選ばれます。ということはバーミンガムで成功した大会の審判員がほとんど、シドニーへ参加しているのです。同じ審判員でありながら、なぜこのような結末を迎えたのか、考えてみる余地があります。

(成功した大会とは? 失敗した大会とは?)

『審判の質的向上』を考える為に、資料を探しました。『近代柔道』のバックナンバー、世界選手権参加審判のどれだけがシドニーへ来たのか。さらに、そのバーミンガムの審判はパリ世界選手権、アトランタ五輪を経験しているのかどうか、とりあえずIJFページにある大会別審判リストを作成しました。

この大会の審判リストを作成している時です。


(不思議な事実)

以前、シドニー五輪の審判リストは別の目的で作成しましたが、それと比較しながら、履歴を調べていると、ふと疑問がわきました。

「あれ? パリとバーミンガム両方参加しているのに、シドニーに来ていない審判がいる」

その審判こそ、MATTAR Emanoel氏(BRA:ブラジル)です。この人は100kg超級の決勝戦で副審を務め、篠原選手に「一本」を与えたとされています。しかし、なぜかシドニー五輪公式ページではKOUAKOU Koffi Lucien(CIV:Cote D'Ivoire)となっていました。

実際の順序は逆で、「CIVのKOUAKOU Koffi Lucien」とまず記事がありました。当時のマスコミによる報道もそのままCIVで流れましたし、後日の報道では『近代柔道』11月号のみが、副審のひとりがMATTAR Emanoel氏ブラジルであると、取材によって調べたと公表、IJFページの記録もそのようになっていますが、この副審の名前だけ文字フォントが他の人名と相違しており、後日、修正した可能性は非常に高いです。

IJF記録リストトップ
篠原選手の決勝戦

このときはあまり気にしませんでしたが、今になって、IJF記録を元にしたシドニー五輪審判表を見ると、CIV所属の審判が二人もいるのです。

KOUAKOU Koffi Lucien /CIV
ANGBO Isaac /CIV


(CIVからふたり?)

コートジボワールは柔道が盛んな国とは言えません。そこから2名も選ばれるなどありえない話です。もちろん実績があれば、問題ないはずですが、1999年9月30日〜10月1日の間に、バーミンガムで開かれた『IJF REFEREE COMMISSION MEETING』11.Olympic quote of Referees by Continental Union.では五つの大陸連盟別に、以下のように審判員が割り振られています。

NAME1999年予定2000年実際
AJU
EJU
JUA
OJU
PAJ


CIVはAJU所属の国ですのでわずか3名の枠の中に、2名も1国から送り出せるはずがありません。別表を見ていただければわかりますが、AJU所属の審判員は、彼らを含めると規定の2倍以上となる5名もいるのです。

この表では他にも、審判員の増減がありますが、この大元となる資料作成時と状況が変化する可能性もあり、その点は無視します。しかし、この記録を見ると、柔道が盛んなJUA(アジア)と、そうでもないAJU(アフリカ)の審判数が並んでいます。

尚且つ、変な言い方ですが、CIVがAJUの5分の2だとすれば、JPNたる日本もJUAの5分の2なのです。審判員をふたりも送り出せる国が、この宗家たる日本とCIVしかないというのは、とても奇妙な話です。

さらに、同国の審判員がふたり、というのもなるべく避けるものではないでしょうか。にも関わらず、66kg級三位決定戦は、CIVのふたりがいますし、他にも数件、確認しています。


パリの表はIJFの資料であり、人数もIJF指定の32人に留まっていますので、全50人のうち、残り18人のメンバーは不明です。

A評価審判は自動的に五輪に推薦されますが、その足りない分を、世界選手権という通過儀礼を経て選ばれたB評価審判(必ず大会後に再評価される)が埋める形なので、世界選手権を経験しない審判がいても、A評価である限り、不思議ではないのです。

とはいえ、IJF終了大会の審判リストがいつ作成されたのかも問題です。予定なのか、結果なのか、その点で正しいと限りません。ですが、同じ国の審判でかつ、ふたりともに名前が無い、にも関わらずオリンピック記録にいるのです。バーミンガムに名前を連ねなければ、オリンピック審判になれないはずですし、彼らふたりが既にA級であった可能性は、まずないでしょう。

(存在しない審判?)

最高の舞台を裁いた審判の履歴が、過去の大会から確認できない。これはとても気になったので、IJF公式ページの審判検索画面を使いました。個人名、国別、審判レベルなど、で調べましたが、相変わらず、この2名は存在していません。
(注:Cote D'Ivoireを国名で入力しても、サーバー側のエラーになります。これは'シングルクォーテーションがデータ抽出条件を失敗させるからです。データベースにはIvory Coastで登録されています)

常識的に考えれば「国際審判」に存在しない人が、シドニー五輪の審判リストに載っているはずがありません。念の為、「大陸審判」でも検索しましたが、この人たちの名前は出ませんでした。さらにIvory CoasのIJF所属審判は11名、そのうち国際審判はわずかふたりです。

こうなるとこの人たちは、IJF審判ではないのです。

もちろん、現時点でIJFの審判リストで確認可能な範囲で、存在していない人というのも、このデータベースが最新の物か、或いは古いものかによって、変わってきますが、IJFの五輪公式記録に、IJFのページにある審判データベース及び、過去三大会の選手権審判リストに載っていない人名があるのは書き間違いだとしても、信じられません。

何度も述べていますが、オリンピック審判は最高レベルの人が選ばれます。前年度の世界選手権が、基本的にその試金石となります。97年世界選手権(IJF矢部里作成)と99年世界選手権IJF矢部里作成)の審判リストにもこの名前は存在していません上に、これを作成した以後、見つけた別掲の資料から、ようやく1995年から2000年の審判リスト(重いです)を作成できました。

1995年から2000年にかけて、このCIV所属審判の名称は存在しません。


(別の角度から)

ジム・コジマ理事や二宮審判はシドニーの試合後、『オリンピック参加審判は24人だったが1人が欠員で、23人』といっています。さらに総会の発表でも、シドニー五輪の23人の審判が、その五輪期間中の実績により、評価を下されています(『近代柔道』11月号インタビュー、及び12月号総会報告記事)

これだけ考えると、現場には23人しかいなかったはずです。


(ブラジルの審判)

自分で最初に作成したシドニー五輪審判リストは100kg超級の試合を、シドニー五輪ページの方の公式結果表から人名を抜き出して、作成しました。後日、篠原選手の決勝戦を裁いたひとりがブラジルの審判だったと明らかにされた、そう上で述べましたが、そうすると審判はひとり多くなります。

欠員して23人の数が、このブラジル審判の登場で24人、つまり欠員者がゼロになってしまうのです。考えられる可能性はKOUAKOU Koffi Lucien氏がすべてMATTAR Emanoel氏である点です。しかし、その日の試合記録と、他の日の試合記録をさかのぼると、KOUAKOU Koffi Lucien氏そしてANGBO Isaac氏は消されないままに存在しているのです。

仮にKOUAKOU Koffi Lucien氏がすべてMATTAR Emanoel氏の表記ミスだった仮定を立てるにしても、IJFは公式記録のうち、この決勝戦のみを修正して、他の記録を直さないということがありえるでしょうか?

すべてのIJFページにあるすべての公式記録を確認しました上に、図表(このページの2000年体重別記録〜14階級中、6階級作成済み)で整理しましたが、KOUAKOU Koffi Lucien氏そしてANGBO Isaac氏の名前は存在しており、何試合も裁いています。

その一方で、決勝戦を裁いた副審、MATTAR Emanoel氏はあの決勝以外の試合を裁いた記録がまったく残っていません。彼は決勝戦でのみ、それも試合後になってしばらくしてから初めて、名前が出てきたのです。彼の名前だけ、他の審判ふたりとフォントが異なっています。

不思議な話ではないでしょうか。

経歴だけ考えれば、CIVのふたりと異なり、このブラジル審判は申し分のなく恵まれています。IJF審判検索でもきちんと抽出されますし、97年99年両方の世界選手権にも審判として出場しているのです。にも関わらず、彼がシドニー五輪の審判をしたという記録はわずか1日の、それも最初の段階では違う人の名前で記載された1試合に限られています。現時点で資料はここまでしか作成できていませんが、目視による確認では、彼の名前はあの試合にしか見つかりません。

二宮さんの話を思い出してください。

ひとりの審判が、決勝戦だけを裁くというのは、ありえないほど、ひとりの欠員は二宮審判の疲労を倍化させていたのです。オリンピック初日は、23人で過ごしています。それ以降も、最終日のあの決勝戦までは、23人だったのです。

もしかするとこの人が24人目の審判でしょうか。最終日だけ欠員していた審判に裁かせる、なんてことがありえるでしょうか。常識的にありえません。なぜならばこの人が裁いたとすると、評価されるべき審判は最初の24人になるからです。

(閑話休題〜目的)

本考察はバーミンガムとシドニーを比較する為の資料を作成していた際のまったくの副産物であり、何かしらを主張するものではありません。ただ、情報の混乱が見られます。これはいったい何を意味しているのか、それを突き止めようとするものです。最高の舞台、オリンピックで曖昧かつ存在さえもあやふやな人が記録に残っている、というのは、真相を知りたくなる、ミステリーではないでしょうか。


(事実の羅列)

1:履歴の完璧な審判(97・99年世界選手権担当)がいますが、彼は決勝戦だけ裁き、他の試合にはタッチした記録が残っていません。

2:審判員は24名いるはずですが、欠員で23名になりました。

3:オリンピック後の総会であった審判評価対象者も23名でした。

4:記録に名前が残っている審判員は24人です。

5:そのうちふたりはどこの記録(1995〜1999)にも名前がありません。

6:さらに彼らが仮にCIV(コートジボアール)出身だとしても、それは1999年当時のAJU審判枠3名を大幅に逸脱した5名とする、考えられない数字です。

7:日本以外の国で審判を2名出しているのはCIVだけです。

8:開催国AUS(オーストラリア)の審判がいません。OJU選出の審判員はわずかひとり、あのモナハン主審だけです。

KOUAKOU Koffi Lucien CIV
ANGBO Isaac CIV

どう考えてみてもこのふたりは存在していません。
ならばなぜシドニー五輪記録にだけ名前があるのでしょうか。
このふたりは誰なのでしょうか。
仮にふたりが存在しなかったとして、ふたりが穴を埋めた場所に記録されるべきだった審判は誰だったのでしょうか。
MATTAR Emanoel氏はその場にいたのでしょうか?

何がどうなっているのでしょうか?
現時点でこの事実をIJFや関係諸団体へ事実確認の問い合わせをせず、WEB上で公表するのは、IJFへの確認時、記録が亡失される可能性を考慮したものです。それほどの大問題かわかりませんが、あくまでも今回の資料はIJFが公表しているWEBページに基づいて進められており、もし万が一、IJFがWEB上のデータを書きかえたならば、この検証は意味を持たなくなりますので、謎が消えるのも労力が消えるのも嫌な気がします。

こうした事実が公式記録に残っている点を誰もが目で確認できるようにと、願っていますし、それがインターネットのメリットです。この問題に対してどうこうできるわけではないのですが、あまりにも不可解過ぎます。IJFへの質問はそのうちすると思いますので、 英文の得意な方は、翻訳していただけないでしょうか?

なぜこのような事が起こっているのか、それに興味があります。


(推測)

審判問題から既に4ヶ月以上が過ぎますこの時期に、こんなことが見つかりました。NZ主審への追求はマスコミでなされましたが、こうした記録を見る限りでは、他の副審について、特にCIV所属審判の身元について考える余地は残されています。

推論Aは、あの試合で審判がクローズアップされたのでその身元が調査される可能性を考慮して、後日、IJFがあの場にいた審判を実在の『MATTAR Emanoel氏』にした、と考えています。

『CIVのふたりは存在していない、それを追求されると困る』と仮定したとしても、なぜこのふたりを『創作』する必要があったのか、という反論には答えられません。23人で運営しても問題なく、記録にそう残せばいいだけの話です。バランスでいえば、OJUがひとりしか出せていないのですから、開催国AUSとでも審判名を創作すればいいのです。

それにふたりが仮に偽名としても、評価された審判員は23人ちょうどです。こう考えると審判員は23人で実働していた、しかし入力段階のミスでふたりの審判が名前を間違えられている、と考えることもできます。

そうだとすると推論B、KOUAKOU Koffi Lucien氏がMATTAR Emanoel氏、もうひとりのANGBO Isaac氏は、開催国でありながら名前のないオーストラリア(AUS)、もしくは欠員の審判ではないでしょうか。100kg超級の決勝戦のみを修正したのは、そのミスに気づいたものの、他の記録を修正する手間を惜しんだ、となります。

とはいえ、これも根拠が薄いです。データベースから審判名を持ってくる際、まず既に存在しているIJF保持の審判員リストから名前を抽出するはずです。そのIJF保持のデータベースに存在しない審判の名前は、元々が物理的に無いのですから、抽出される可能性はゼロです。人為的に変えなければ、自分の手で入力しない限り、ふたりも、それも同じ国の存在しない審判名が、存在する審判に置き換わる可能性は低い、というよりもありえません。

さて、推論はここまでにします。事実を確かめるのが最も大切なので、これ以上の想像はしません。あとはIJFに聞くぐらいしか、することは残っていないまでに資料を集めたつもりです。



当ホームページに掲載されているあらゆる内容の無許可転載・転用を禁止します。すべての内容は日本の著作権法及び国際条約によって保護を受けています。
Copyright 2001 YABESATO MASAKI. All rights reserved. Never reproduce or republicate without written permission.
Mail to Yabesato