(はじめに)
この記事は以前、別のページで書いたものを再構成したものです。当時の感情のままに書いた内容を読みたい方は、こちらをご覧下さい。当時と現在で共通する想いはふたつありますが、まず第一に『双方無効』は『大岡裁きでも喧嘩両成敗でもない』ということです。第二に、彼らが篠原選手の技を否定したロジックの問題点です。
そして、何度も別の記事で書きましたが、この結論は即ち、『篠原選手の内股透かしによる一本』と断じた『全日本柔道連盟及び日本柔道』が、『技を判定する資格が無かった』と結論付けられた、ものであるということです。以上の点を踏まえて、お話をしたいと思います。
(全体の流れ)
2000/09/22 シドニー五輪で誤審
2000/10/07 全日本柔道連盟からの抗議文公式ページ/IJFページ
2000/10/09 IJF朴会長からの返答
2000/10/30 IJF審判委員会公式結論
2000/12〜公表されたIJF審判委員会会議記録
IJF Communication on +100 kg. Final of Sydney Olympics Judo Competition
Executive Committee Meeting, Kheops Hotel Nabeul, Diwan 8
Monday, 30 October 2000
NABEUL (IJF) ? The International Judo Federation (IJF) Executive Committee has received and approved the report of the IJF Referee Commission regarding the +100 kg. final contest of the Sydney Olympics Judo Competition. The report of the IJF Referee Commission has decided as follows.
The IJF Referee Commission members present were: Chairman, Jim KOJIMA (CAN), Juan Carlos BARCOS (ESP), Takao KAWAGUCHI (JPN), Vicente NOGEUROLES (ARG), Seydou TOURE (SEN), and Samuel WRIGHT (AUS).
The IJF Referee Commission, during the meeting, reviewed the various videos many, may times in regular speed, slow motion and frame by frame.
Article 20 (Ippon), Article 23 (Waza-ari), Article 24 (Yuko), Article 25 (Koka) all begin with:
"when a contestant with control throws the other contestant..."
-Mr. DOUILLET (FRA) started the technique, "Uchimata" with control, but lost control
-Mr. SHINOHARA (JPN) took over control with an attempted "Uchimata-suskashi" but no "throw" (hand action) was done.
Without a "throw" it is not possible to score.
Mr. DOUILLET landed on his back carrying on with his Uchimata.
If Mr. SHINOHARA had thrown Mr. DOUILLET, Mr. SHINOHARA would have fallen differently and his body position would be different.
Consequently, the IJF Referee Commission has come to the conclusion that neither contestant should be awarded a score since neither contestant had complete "control" and a "throw" was not executed.
(事実その1:IJFの審判委員会の結論を理事会が承認)
IJF Communication on +100 kg. Final of Sydney Olympics Judo Competition
Executive Committee Meeting, Kheops Hotel Nabeul, Diwan 8
Monday, 30 October 2000
NABEUL (IJF) ? The International Judo Federation (IJF) Executive Committee
has received and approved the report of the IJF Referee Commission
regarding the +100 kg. final contest of the Sydney Olympics Judo Competition.
The report of the IJF Referee Commission has decided as follows.
(事実その2:IJFの審判委員会による会合は、あの攻防での両選手の動きを以下のように確認)
A:技の定義
審判規定による技の定義の確認
Article 20 (Ippon), Article 23 (Waza-ari), Article 24 (Yuko), Article 25 (Koka) all begin with:
"when a contestant with control throws the other contestant..."
B:ドゥイエ選手の投げ技の検証
Mr. DOUILLET (FRA) started the technique, "Uchimata" with control, but lost control
これは『投げ技の条件を満たした(コントロールを以って投げた:"Uchimata" with control)が、結局、コントロールを失った("but lost control")ので、ポイントにはならない』と解釈することが出来ます。つまり、『投げ技ではあったが、投げ技で終わらなかった』と書かれています。
C:篠原選手の投げ技の検証
Mr. SHINOHARA (JPN) took over control with an attempted "Uchimata-suskashi"
but no "throw" (hand action) was done.
Without a "throw" it is not possible to score.
『内股透かしを試みようとの元、コントロールを引き継いだが、『投げ』(手の動き)は何も行われなかった』。(この先は今までと違う解釈になりますが)『コントロールはあっても投げ(手の動き)は何も無かった。投げが無かったのだから、如何なるポイントも発生させられない』と解釈されます。
ここまで読み進めると、以下のようになります。
選手名 |
コントロール |
投げ(手の動きなど) |
ドゥイエ選手 |
○→×(but lost) |
○(started) |
篠原選手 |
○(took over) |
×(no "throw") |
この点を見ると、両者の双方無効の意味合いが異なる点を理解していただけたでしょうか。ドゥイエ選手の投げ技は『コントロールから始まり、投げ技として認められているものの、コントロールを失った為に、ポイントを生まなかった』のですが、篠原選手の投げ技は『コントロールしたものの、投げの動きが無かったので、ポイントは生まれない』、つまり『効果を生まなかった、或いは効果・有効以下さえ生み出せない、投げ技ではない』というのです。
『双方無効』を決して鵜呑みにすることなく、この相違を理解して欲しいと、このような論考を書いています。時間が流れ、『双方無効』の結果がひとり歩きしてしまわないように、願います。
D:ドゥイエ選手の落ち方の検証
Mr. DOUILLET landed on his back carrying on with his Uchimata.
『ドゥイエ選手が背中から着地したのは、彼自身の内股による』
このように書かれていますが、今までのある程度精緻な分析(『投げ技』をルール上の定義から持ち出し、『コントロール』+『投げ技』のどちらも満たさないものは投げ技ではない)を行いながら、この一行に関しては、まったく説明がありません。ドゥイエ選手が『着地した』事情は『彼自身の内股による』で説明されるかもしれませんが、さらにその『彼自身の内股』を、どのような事情で『直接の理由・原因』と認定できたのか、まったく言明がありません。
『彼が犯罪者で無いのは、彼がいい奴だからだよ』
一見すると、そのように聞こえますが、その『彼がいい奴だから』の根拠は、この言葉ではまったく証明されません。『彼自身の内股によるとする根拠は、その(コントロールを失った)内股の力の流れで証明される』とでも述べればいいのですが、この一行だけは、他とはまったく違ったニュアンスで用いられています。
総合的に見ると、『篠原選手は投げていない』→『投げは無かったのだから』→『だからドゥイエ選手が転がったのは、彼の内股以外に考えられない』、とのニュアンスで貫かれています。これを詭弁といわずして、何でしょうか。
正常な判断を下す人間であれば、『ドゥイエ選手が転がっている』→『つまり転がるに値する原因がある』→『それは何か?』と、論証を進めるはずです。しかし、IJFは投げ技が存在しないが故に、本来、それと因果関係にある『転がった事実』を切り離し、『内股によって転んだ』と結論付けているのです。自分は論理の専門家ではないのでここまでが論理展開の限界ですが、専門家が見れば、IJFの詭弁や因果関係の崩壊は、証明されると思います。
さて、この否定を完成させる為に、彼らは余分な一言を付け加えました。
E.篠原選手が投げていたら、違う落ち方をした
If Mr. SHINOHARA had thrown Mr. DOUILLET, Mr. SHINOHARA would have fallen differently and his body position would be different.
『もしも篠原選手がドゥイエ選手を投げていたら、篠原選手の落ち方や体の位置は違っている』、しかし、この言葉はなぜあるのでしょうか。第一に彼らは『投げ技ではない』と言い切っており、『ルール上、投げていない』と述べています。それだけで足りるはずです。にも関わらず、『ルールには明記されていない』技の後の姿勢にまで、言及しているのです。
ここで彼らはルールで否定をしながら、さらに否定をする為に執拗な論理を組み立てますが、実際のところ、それはルールに明記されていない別の観点で『投げ技が成立する』ことを、彼らが認めているからに他なりません。
『投げていたら、篠原選手の落ち方や体の位置は違っている』
『篠原選手の落ち方や体の位置は違っていたら、投げていた』
このような変換は強引かもしれませんが、この点で彼らの発言は論理的な整合性を欠いています。かたやルールで否定しながら、かたやルールではない部分で二重に否定をする。しかし、その二重に重ねた否定が、『自らが主張したルール以外でも投げ技が成立する』点に言及してしまう結果になっているのです。
話は変わりますが、同様の手口といいますか、嘘はつかなかったものの、誠実でなかった人に、遠藤純男氏がいます。氏は『正しい内股透かし』をテレビやインタビューで唱え、篠原選手のそれが、まさに上述の理由から『投げていたら、篠原選手の落ち方や体の位置は違っている』と否定しました。
しかし、氏の反論は、情報を多く共有できる現在、大きな問題を見せ付けました。氏はあくまでも『綺麗な内股透かし』に関して否定の言葉を述べており、『篠原選手のオリジナル(全日本柔道連盟が送付した99年世界選手権、及び野村忠宏選手のコメントで証明されています)の内股透かし』を、紹介もせず、話もしなかったのです。
『本物の内股透かしはあのような倒れ方をしない』
この点、『二種類の内股透かし』があるのを話さず、『篠原選手の内股透かしではない内股透かし』で、『篠原選手の内股透かし』を否定的に説明された点は、不誠実そのものではないでしょうか。そして遠藤氏のみが主張していた『双方無効』の結論がそのままIJFに採用された点でも、幾ばくかの不信を生むものです。
そもそも、なぜマスコミはあの段階、あの時期に、遠藤純男氏ばかりをとりあげたのでしょうか。今もって、理解できません。尚且つ、それだけのスポークスマンでありながら、遠藤純男氏は『近代柔道』にも、『柔道』にもコメントもインタビューも掲載されていないのです。もしかすると『柔道を何も知らずに騒いでいる人びと』を沈静化させる役割を負わされたのかもしれませんが……この辺りもまた誤審に関わる不思議のひとつです。
F:結論
Consequently, the IJF Referee Commission has come to the conclusion that neither contestant should be awarded a score since neither contestant had complete "control" and a "throw" was not executed.
さて、結論です。
『最終的に審判委員会はどちらも完全な「コントロール(ドゥイエ選手)」と「投げ(篠原選手)」は行えず、ポイントになるような技ではなかったとの結論に至る』、このように結んでいます。
これで終わりなのです。
この文章を読んでいて感じたものは、『試合をしている選手しか存在しない』点です。そこには『この誤審(双方無効=試合後に覆らないはずの判定を覆している状況)を生み出した原因である主審の存在が無い』のです。如何なる経緯で主審が『誤審』をしたか、つまり『双方無効』も主審の出した『有効』とは異なるので主審は『誤審』をしているのですから、その原因を追求すべきなのです。同じ事件を繰り返さない為にも。
しかし、IJFはそれをせず、今もって(2001年1月現在)、モナハン主審が如何なる理由であのような『有効』の判定を出したのか。それがドゥイエ選手のポイントかどうかさえ、我々は未だに知りません。ドゥイエ選手のポイントとして確認できたのは、あくまでも掲示板係が示したからで、あの『有効』が誰のものか、推測は出来ても、誰にも主審が語らない以上、『誰の物でも無い有効』のままなのです。
(最終的に読み取れる文脈整理)
A:両者の投げ技が無効であったこと。
B:この報告をIJF理事会が承認したこと。
C:オリンピックの試合は「篠原選手:注意でのポイント」「ドゥイエ選手:内股返しでの有効」で、ポイントの上では並んだこと。
D:現時点で公式試合記録がそのような『双方のポイント並ぶ』とも修正されないままであり、尚且つ『双方無効により』必然的に生じる『引き分け』のコメントさえも、IJFが発表していないこと。
E:「誤審」があったと明言されていないこと。
F:投げの定義を参照した結果、「コントロールが必要→その結果の如何で技の『一本』『技あり』『有効』『効果』に変化する=必ず「コントロール」が始めに必要となる。逆を言えば、『(彼らが言う)コントロールの無い投げ技』は如何なる形で相手を転がさせたにせよ、『ポイントとはならない』。
G:現場で判断した『審判』が不在の結論(誤審はあっても誤審を起こした責任が無い)
H:主審がなぜ『有効』と判断したか不明。
I:主審が与えた有効の帰属が不明。
J:掲示板係がなぜ『ドゥイエ選手』に有効を与えたか不明。
K:この『双方無効の結果』が何を意味するか、まったく不明。
(誤解なきように)
『IJFが誤審を認めた』とはこの発表で、即、つながらないのは、『技の解釈』と『両者無効』のみが記載されるに留まり、IJFによる『誤審の事実を認める』コメントが皆無だからです。新聞記事では『誤審を(事実上)認める』とありますが、それはあくまでも受け取る側の判断であって、彼らは何も言っていません。もしも誠実に誤審を認めるのであれば、以下の質問に応えなければなりません。
『なぜ誤審が起きたのか』
『主審はどのような経緯で判定を下したのか』
『なぜ双方無効でありながら、試合結果が訂正されないのか』
(最後に)
今までは『ルールであるから判定が覆らない』とIJFは述べていましたが、その立場に変化は無いのでしょうか? 判定が正しくなかったと間接的に認めるにも関わらず、その判定に左右される『結果』に如何なる言及もなされないのは筋が通りません。
知りたいのはこの結論が導く、『結果』です。
今回の解答は解答に値しない『予言』と同じく、解釈を聞く側にさせている点で評価できません。あくまでも『判断材料』に過ぎず、この報告を受けた理事会は、上で述べたような幾つもの曖昧な箇所を突き詰める言及をすべきではなかったのでしょうか。
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