主審が『有効』の判定を下した経緯


SINCE 2000/12/28

(説明)

多分、自分よりも詳しい検証をされている方のサイトはたくさんあるでしょう。ですからそちらをご覧下さい。なぜいまさらこのような説明が必要なのか、それを述べていきます。

(当事者の整理)

試合者青:篠原信一選手
試合者白:ドゥイエ選手
主審 :MONAGHAN Craig(NZL)
副審1:MATTAR Emanoel(BRA)
副審2:ATTYE Fares(SEN)
審判委員1:川口孝夫氏
審判委員2:不明


(概要)

ドゥイエ選手の内股に対し、篠原選手は堪えながら『内股透かし』を試みます。ドゥイエ選手は背中から転がり落ちました。篠原選手は投げた後、背中の帯を持たれた為か、潰れるように真下に落ち、それが角度によって、篠原選手が投げられたように見えました。

主審:有効を宣告
副審1:一本を宣告
篠原選手:ガッツポーズ後、開始線へ戻ろうとする途上で主審の判定に気づく。
ドゥイエ選手:四つんばいのまま、呆然とした顔。
主審:『待て』を宣告後、副審2に確認。
副審2:何もせず(主審の判定を支持)


(ルール的な説明)

国際審判規定第七条で、『副審は評価に対して、主審の合図よりも早く評価を示してはならない』とあります。つまり、副審が自ら評価を示すのは、『主審の判定に異議がある』時のみに許された行為です。

この場合、『判定の決定』については、同じく第七条にて『主審が技の効果や罰則について、2名の副審より高い評価を宣告した場合には、副審2名の中で高い方の評価を示した副審の評価に修正しなければならない』とありますが、今回は、主審は『副審1』が異なった意見を見せたので、もうひとりの副審2の動作を確認、修正しなければならない事項を満たさなかったので、『自らの有効』を確定させました。

しかし、この時、主審はどちらのポイントかを示しませんでした。第八条附則には『不明瞭と思われる場合は、主審は公式の後、技の効果を得た試合者または罰則を与えられた試合者を示す為に、青または白のテープ(開始時の位置)を指差す』と規定されておりましたが、今回、主審がその動作をしなかったのは、主審にとってその状況が『不明瞭ではない』『どちらのポイントかはっきりしていた』と判断していたことになります。

もうひとつ、判定が割れており、主審と副審2がはっきりと見える位置に居なかった点を考えると、第七条『主審または副審のうちのひとりにははっきりと見えて、他の二人に見えなく、そして判定を変えられる物がある場合のみ、合議は可能であり必要である』が、適用されるべきであり、主審が『多数決』を採用して合議をしなかったのは早計でした。

(見た人たちのコメント)

1:見える位置に居た人の言葉

A:山下泰裕監督

『篠原選手の一本』『主審は内股透かしを見極められていない』

B:二宮和弘IJF審判

「一本だと思いましたが、主審を見ると『有効』なんて言っている。正直言って、『何を見ているんだ! あれは一本だと思いました。この時点では私は篠原が『有効』だと思っていましたし、試合は流れているので特にスコアボードなんて見ませんでした」(2000年『近代柔道』11月号P43)

C:ジム・コジマ審判理事

『個人的には篠原選手の一本だと思っている』

D:野村忠宏選手

『篠原選手の一本』『普通の内股透かしとは違う、先輩のオリジナル』(『とんねるずのみなさんのおかげでした』放送時)

2:会場で「微妙な位置」に居た人

川口孝夫審判IJF審判委員

篠原選手の一本。

小野沢弘史IJF審判

『私の位置からは篠原が投げられたように見えました。だから副審が一本をあげているのを見て、『どうしてあれを(ドゥイエの)一本』とするのかなと思ったくらいです』(2000年『近代柔道』11月号P42)

3:テレビで見ていた人

遠藤純男IJF審判

両者無効、かつ正しい『内股透かし』を力説


(主審の角度)

さて、問題はここです。主審は位置的に、篠原選手とドゥイエ選手の背中の側におり、はっきりと見えないところにいました。逆にふたりが技を掛け合って倒れた際、正面にいた副審1は、『一本』をあげています。これは試合後の確認ですが、二宮審判がこの副審にどちらの技か問いただした際、『日本』と告げたそうです。

小野沢さんも会場では『篠原選手が投げられたように見えた』と述べています。しかし、同じく小野沢さんは日本に帰ってからビデオを見て、「篠原選手の一本」と述べ、同じ映像を見て、そこからだけ判断している『遠藤純男』氏とは別の意見を出しています。

(新事実1)

頭が冷えた三ヶ月経過後に、入ってきた情報があります。既にお気づきの方も居ると思いますが、この試合の審判委員をしたのは日本人である川口さんだと確認できました。その記事の原典は時事通信社の記事だと思う(了との署名)のですが、川口さんはこのインタビューの中で、以下のように述べています。

「篠原の一本だと思ったが有効になっておかしいと思った。まさか、それがドイエの ポイントだったとは終盤まで気が付かなかった」

この記事の原典はリンク(つながってません)だったのですが、リンク先が消えてしまっており、コピーを見せていただく形をしています。発表された時期と時間の確認まではいまのところできていないません。スポーツナビというところです。何気なく、田村亮子選手のインタビューもあります。(後日、別の方から同じ『時事通信社の記事のリンク』をご紹介いただきました)

この情報は今までにほとんどどこでも話題になっておらず、『近代柔道』でもふれられていませんが、審判委員が六名しかいない点を考えると、試合場に付くべき二人になる可能性は、三分の一ですから、充分にありえました。

川口さんは『近代柔道』11月号P39では「試合場の逆サイドから見た人の話だと、篠原が投げられたように見えたというんですよ。だからあの場合でもいちばん近くのブラジルの副審は篠原に『一本』を挙げたが、反対側の副審は見えなかったのでは……それで結局、2-1の判定になったのだと思いますよ」とコメントされていますが、この言葉から少なくとも彼自身は、逆サイドにだけはいなかったのですし、きちんと「一本だと思った」とコメントもされています。

斉藤コーチが試合中、抗議しなかった、掲示板を確認しなかった等で責められましたが、審判委員として主審の判定を覆せないものの、再考を促せる立場にあった川口氏が何もしなかったことは、本当に悔やまれます。ある意味で現在用意された誤審救済策である『審判委員』制度が、日本人委員という条件でありながらも、正常にあの場面で機能しなかった点を考えると、今以上に踏み込んだ改革をしなければ、あの制度は有効活用されないと考えます。チュニジアの総会で審判委員関係で出された文章は以前の焼き直しと、決勝戦には全員が参加するとのことだけでした。


(閑話休題)

リンクが消えるのは、この『誤審問題』風化に、一役買っている気がします。自分はなるべく著作権法に違反しない形で、『引用(自分の文章が主、引用文が従、かつ原典を明らかにして、その部分が他と区別できるようにする)』または、リンクで情報ソースを提供するマスコミのページにリンク(法律的に違法ではない)させていました。

マスメディアの情報は個人が発する、例えば自分が何かをいうよりも、説得力が違います。取材量と割ける時間も違うので、信じるに足る根拠となりえますし、アピールする力も大きいのです。

しかし、それに依存していると、そのリンク先が消えたとき、後には何も残りません。自分の作ったページもそのほとんどが、リンクを集めたばかりに、その先が消えると疎な内容になります。

なるべく情報の原典を共有して、その認識にミスがあった場合も誰かが指摘してくれる形が、ネット上での理想的な形と思っていましたが、この時期、書いているとそのほとんどの資料が『近代柔道』に頼っており、ネット上にリンクをあまり求められず、確認の機会を提供できないのは残念な話です。その点、毎日新聞のトップページにあるニュース検索は素晴らしいといいますか、ありがたいものです。


(新事実2)

話は戻ります。

我々は審判の質的問題を論じました。特に山下さんは「審判が内股透かしという高度な技を見切れていない、知らない」とおっしゃいましたし、全日本柔道連盟は「内股透かし」が「一本」を取れる技の証拠として99年の世界選手権で篠原選手がこの技で、「一本」を取った映像を送りました。

他にも『週刊文春』紙上にて、モナハン主審の師匠に当たる人が、「彼には見切れていなかった」とコメントしています。今までの議論の一部は審判の質的問題、『主審は内股透かしを知らない』を前提になされましたが、99年世界選手権のビデオ映像を購入された方からご指摘いただいた事実をお話しようと思います。

篠原選手は99年無差別級二回戦(対バンデギースト)と三回戦(対ムンテアヌ)でこの技を使用、両方で一本勝ちをおさめています。それもシドニー五輪で見せた、「相手の内股を受けてから透かす」、ものであり、どこかのテレビでIJF審判の遠藤純男氏が力説した「相手の足を受けずに透かす」内股透かしではなく、『とんねるずのみなさんのおかげでした』出演時に、野村忠宏選手が説明した、あの内股透かしです。

このうち、バンデギバースト選手がこの内股透かしで一本を奪われた際、その意味を理解できずコーチが抗議したとこの記事もご紹介いただきました。

さらに、ムンテアヌ選手が『内股透かし』で敗退したとき、『一本』を宣告した主審が、あのモナハン主審だったというのです。この事実を前提にすれば、モナハン主審は内股透かしを知っていますし、一本を与えるだけの知識もあったということです。

つまり、『主審は内股透かしを知らないほど、質が低』くはなかったのです。


(結論)

今までに出てきたコメントから述べます。

1:上述した師匠の言葉。
2:目の前ですべてを見ていた副審だけが一本をあげた。
3:ふたりの選手の後姿しか見えていなかったモナハン主審の位置。
4:テレビでコメントしたジャーナリストが指摘したモナハン主審の目線。
5:反対側にいた小野沢審判の言葉。
6:そしてモナハン主審は『内股透かし』を一本と見極める力量がある。


これらを総合すると、結論は審判の質的な問題ではなく、単純に、呆気ないほど単純な答えなのですが、『モナハン主審は内股透かしが見える位置に居なかった』だけです。角度の問題そのものは何度も論じられましたが、全日本柔道連盟の抗議はそこから微妙にずれていました。この主審が如何なる根拠でその結論を出したのか、確かめる、解答を求めるべきでした。

「主審は見えていた上で、判定を下したのか」

既に三ヶ月が経過しましたが、この「主審が見えていたのかどうか」という事実はいまだに公表されていません。

(抗議プロセスの問題)

今回の抗議が失敗したのは、モナハン主審を『質的に低い』と断じて、『内股透かしはこういう技なんだよ』と力説した点かもしれません。IJFは自らの審判を守る為か、最悪の結論、『両者の技は生きていない』と判定しました。

しかしこれは、審判委員会全員がこの技すべてを見て検証しなければならない事例だったのでしょうか? まず審判委員会がなすべきは、「主審がどのような根拠であの判定を出したか」明らかにすることでした。

すべてが結果論に過ぎないのですが、「審判は見えていたの?」と念を入れて確認しなかったばかりに、審判の質的問題を深く突っ込んでしまったばかりに、問題は最悪にまでこじれてしまったのではないでしょうか。もしも全日本柔道連盟がこれからも篠原選手のあの決勝戦での「内股透かし」を一本だと主張するならば、以下のように願いたいものです。


モナハン主審は篠原選手の内股透かしを見極める力量を持っていた、と添付したビデオから確認できる。にも関わらず、今回、主審がそれをわからなかったのは角度の問題であると考える。

主審の位置は客観的に見て不適切であり、正面にいた副審は一本を上げていた。また主審の目線は篠原選手が如何に投げられるかに注がれており、そうした視点の先入観も考慮に入れるべきである。IJF審判員である小野沢氏は副審や主審と同じ位置にあり、篠原選手が投げられたと見えていた。反対に、一本を宣告した副審と同じ位置関係で物を見れたIJF審判員の二宮氏、ジム・コジマ審判理事、川口孝夫審判委員は『一本』であると明言している。

これを考慮して、全日本柔道連盟は主審が今現在、この映像を見てどのように判定を下すのか、それに対する解答を望む。これは審判員によるミスなのか、審判員の伎倆なのか、それを判断する為に必要な材料となる。

もしもIJFがこの点を公表するのを拒むのならば、その理由を望む。我々は審判員を責めることは目的としておらず、なぜこのように判定が日本側、IJF側と分裂してしまったのか、その原因を真摯に求める。

仮に、この裁定が当事者である主審を欠いた不明瞭な結末に終わるとしたら、柔道をテレビ放送で見た視聴者へのダメージは必至であり、商業的な柔道の成功は、閉ざされていくと考える。審判委員会によって出されたIJF結論はこの点が欠如しており、今までに関係者から出されているコメントに対して、説得力に欠ける。

あのIJF裁定が真実であるとIJFがするのならば、我々は使用したビデオの内容の確認も求める。我々は主審が不適当な位置に居たと判断しており、同じく、IJFが不適当な角度からのビデオで判定をしていては、この問題は不明瞭なままとなる。

もしIJF解答がすべてにおいて正しいとすれば、所属する審判員のうち、名前を挙げた副審、二宮氏、ジム・コジマ審判理事、川口孝夫審判委員、或いは山下泰裕氏など、様々な人たちが『嘘』『誤り』を述べたことになりかねない。

これは柔道のイメージに対する著しいダメージであり、オリンピック競技として存続していく上で、致命的なダメージとなりかねない。

審判は人間であり、ミスもする。今回、ミスがあったかどうかは現状で不明であり、今後の調査を望むが、仮にも様々な意見が飛び交うだけの判定であったことは確かであり、技の問題ではなく、見える角度の問題ではなかったのかと、再提起する。ミスをしない、認めない、そうした審判のプライドも理解できるが、すべてのプライドは競技の上での公平性の前に放棄されるべきである。謙虚さと、耳を澄ます公平な心が無ければ、審判員のプライドとの言葉は傲慢の隠れ蓑となる。

現在、こうして問題がこじれたのは見る側が審判の判定に対しても積極的に意見を言えるだけの環境が整ったテレビ化と無縁ではなく、これからテレビと共に柔道があり続けるのであれば、なおさらに視聴者への説明責任は果たされるべきであり、審判の判定基準は明瞭でなければならないし、厳しい目にさらされる。

反則を知っている人間がいれば、彼は審判以上に、テレビ画面から反則を見つけられる。その反則を審判が見落としていれば、柔道競技そのものへの評価は失墜する。テレビの角度で『一本』と見えたものが、見えにくい位置にいた主審により、『相手の有効』とされるのも、テレビの前の人間が審判を軽侮する一因に繋がる。

同じミスを繰り返さない為にも、まずは『主審が見えていたのか』という最低限の確認を、IJFに求める。仮にミスがあったとしても厳罰は望まない。ミスを取り戻すシステムは今後の課題となる。この点でミスを犯した者に寛容であるべきと思い、審判員に求めるものは、ただ何があったかを話してもらうことだけであり、それを変えていくのは今後のIJFと柔道連盟の課題である。

現時点でIJFはすべての公式記録を、自らの発表した『双方無効』の結果に合わせて修正すべきであると考える。この『双方無効』を我々としては認めかねるが、現時点でこれが解答であるならば、篠原選手は『引き分け』にも関わらず、旗判定も無く『敗北させられた』ことになり、そのIJFにより与えられた不名誉は絶大な物である。公式な謝罪、及び公式に記録を改め、それを発表しなければ、柔道の精神である『礼』を失した醜態を、IJFがさらすこととなり、我々としてそれは非常に遺憾な結末であると言わざるを得ない。

そして最後に、我々は『スポーツマン』ではなく、『柔道家』であることをすべての関係者に望む。


(最後に、全日本柔道連盟)

あの抗議がこの記事を書いている時点で、どうなっているか、筆者は何も知りません。前回の福岡国際大会でコジマ審判理事とベッソン競技担当理事にビデオ判定問題と合わせて提起したようですが、結論と、その結論を踏まえた先の展開は不明のままです。このまま消えてしまうのも、どうかと思いますので、今後に注目しています。


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