ドゥイエ氏の来日にて、思うこと

SINCE 2001/04/07


正直なところ、氏が何を言おうと関係無いと思います。氏が述べるように、誤審は審判部の問題です。今回のドゥイエ氏の来日は、誤審を通じて起こった騒動に対して心を痛める、柔道家としての素顔を照らし出しています。先入観無しに話を聞くと、そうなります。

自分が釈然としないのは、彼の以前の言葉があるです。

1.山下氏への誹謗
『山下氏の抗議は自分(ドゥイエ氏)が金を取ると、山下氏の記録を抜くからだ』
→山下氏は私のアイドルで、初めて部屋に飾ったポスターは山下氏。

2.背中ではなく、腹に衝撃を感じた。

彼は嘘をつきました。

日本人の前では綺麗な言葉を並べますが、以上のふたつの言葉を我々は知っています。ですから、悪感情を抜きに、彼の言葉を聞くことは難しいです。彼はひどい言葉を言いました。その言葉が本音か、嘘か、誰にもわかりませんが、日本ではそうした言葉がなかったように振舞い、誠意があるといえません。

『山下氏に会って誤解を解きたい』

誤解が生じた原因は、ドゥイエ氏が金メダルを試合で獲得したことではありません。氏が本国にて山下氏へ非難の言葉を浴びせ、また試合後のインタビューで、『背中から落ちたにも関わらず、腹に衝撃を受けた』と、嘘をついたからです。

自らが原因にも関わらず、氏は『日本とフランスの間が……』と大きな問題に摩り替えています。氏は山下氏に謝罪すべきでしたが、何かしらの原因によって(今回は『誤審』)生じた『両国の不和を危惧』して、『誤解を解く』為に来たといいます。自分個人で言えば、ドゥイエ氏が篠原選手に勝ったことで怒ったのではありません。

1.国際柔道連盟の判定に対して。
2.ドゥイエ選手が嘘をついたから。

この点、誤審の騒ぎとひとつにくくるのではなく、別々に考えるべきです。誤審とドゥイエ氏への非難は、本来、同一ではありません。しかし、氏は自らの責任によって生じた問題を、誤審と結びつけました。

この点、他の方の考えは知りませんが、少なくとも、誤審の問題はドゥイエ氏の考えるような『誤解』でもないですし、『ふたりの柔道家が試合をした』点に関しては、まったく依存がありません。氏の反則も、あの『誤審』問題がなければ、それほど騒がれなかったでしょう。もっとも、反則が見逃されるのも誤審なのですが。

すべての、ドゥイエ氏が負うべき問題は、ドゥイエ氏の言動に由来しますが、フジテレビの報道は、誤審への騒ぎすべてが『日本人に勝ったからドゥイエ氏が責められる』ような、印象を持たせています。今回の来日で、テレビ放送はドゥイエ氏の過去の発言に触れていません。幾つかの事実を、排除しています。

日本人がドゥイエ氏に求めるものは、「負けを潔く認める」ということだけです。嘘をついたことを、詫びることです。柔道の問題ではなく個人として、嘘をついたこと、さらに尊敬する人物への罵詈雑言、を謝罪することだと思います。

氏が感情的に追い詰められ、山下氏を『自分の記録を塗り替えられるから、抗議した』と思うのは、仕方が無いかもしれません。(個人的にはそうした発想が出来ること自体、普段からそう言った記録に拘る意識が出ていると考えます。僕はそもそも、ドゥイエ氏がその発言をするまで、山下氏の記録が塗り替えるのにさえ気づきませんでした)

日本で発言をするならば、それを無かったかのように振舞うのは、正しいといえません。日本人が知らないとでも思っているのでしょうか? そうした態度こそが、彼が尊敬を得られない理由です。これに『柔道』は関係ありません。

氏はあくまでも、自分の世界、ストーリーを語ります。『誤審』で傷ついた心を癒しに来たわけで、自分とそれを取り巻く環境ばかりを見ています。噛み合うはずがありませんので、放送が誤審問題に進展を見せる可能性はゼロです。

氏と誤審は究極的に切り離されているものでした。古賀選手が著書のなかで述べていますが、試合者にとって審判の判定は絶対です。ドゥイエ氏が誤審で背負うべき問題は無いはずでした。

しかし、氏は嘘をつきました。誰が見ても、背中から落ちています。氏の態度、発言、試合での反則などの要素が絡み合って、結びついたものですし、氏もそれを自覚すればこそ、日本側の国際柔道連盟や審判への非難を、自らへ向けられたものと『錯覚』するまでに、追い詰められたのでしょう。

今回の放送趣旨は想像できます。傷ついたドゥイエ氏がその傷を癒しに日本を訪問する。山下氏に会いたいと言うものや、篠原選手に「今後のことを話したい」など述べるのも、『親日家』として知られる氏が、日仏関係の悪化を憂慮する、とのものです。

『第二の故郷、日本』

案の定、4月5日放送『すぽると』ではそんなテロップが出ます。

この言葉に、日本人は弱いです。

氏の今回の行動自体は、それほど非難するに値するものではないと思います。『誤審で、日仏関係が悪くなることを憂慮する』、確かに、そうでしょう。しかし、日仏関係は悪化しているのでしょうか? 自分にそれを教えてくれる情報は、一切、テレビで紹介されません。

氏が語ることと、誤審の存在を議論するのは完全に別物です。

「ドゥイエ氏はこれだけ傷ついている、もう誤審を忘れてあげよう」
「日本人もこだわりを捨てよう」

そんな性質の問題ではありません。誤審にこだわる人は、氏への加害者でしょうか? 自分で起こした不始末を、氏は内面的に処理しにきただけです。誤審は忌々しき問題で、それは事実として存在します。判定の在り方を疑うことと、氏個人を誹謗中傷することを、つまり誤審に憤ったのが『ナショナリズムのみ』と結び付けているのは、メディアであり、氏その人です。

フジテレビ『とくダネ!』では、「疑わしい判定」と言いましたが、誤審は事実であり、篠原選手は不公正によるダメージを受けました。なぜ、篠原選手への心遣いが無いのでしょうか? なぜ、『人間ダビッド・ドゥイエ』のみに焦点を当てるのでしょうか?

大きな声の人間の言葉だけが、真実として響いていくのを危惧します。

今回の放送・来日は誤審についての解釈や事実を語る場所ではなく、五輪とドゥイエ氏と言う個人を語る機会、そのようになっていると思えます。少なくとも日本側は、ドゥイエ氏への働きかけを放棄して、氏の言葉を伝えるのみです。

氏が憂慮した事実が実際にあったかを再現せず、あくまでも印象で番組は作られています。氏に日本側の状況をきちんと説明できたのでしょうか?国際柔道連盟の現在の決定がどのようなものか、伝えられたのでしょうか?

篠原選手と会おうとしたのも、ドゥイエ氏の心の癒しには必要でも、それは篠原選手の感情を無視した、一方的なものです。その点、『ボンジュールとでも言いますわ』と受け流した篠原選手は見事です。ドゥイエ氏が過去にこだわるのは個人的な問題です。

何をもって問題とするかは、個人の問題です。恋愛ではありませんが、ふたりという観点からすれば、篠原選手は忘れようとしていますし、新たな目標を持たれています。対して、ドゥイエ氏はそれを引きずっているように思え、まるで復縁を迫るような…自分のドラマに出演させようとする感じがするのは自分だけでしょうか。

先日放送の『すぽると』、単純にいい内容でした。ドゥイエ氏の亡き友人の話、金メダリストを囲む子供たち……素直に見れば、心が動く内容です。ですが、山下氏を罵ったのは、ドゥイエ氏です。にも関わらず、彼は尊敬していると言います。彼が嘘をついて、それを正せない以上、彼の心理を想像することも、それを証明するはずの言葉を信じることも、何も出来ません。

これがドゥイエ氏に対する、個人的見解です。

ただ公正を期するならば、ドゥイエ氏は記者会見で篠原選手に対して気遣いを見せていました。しかし、報道されていません。フジテレビは『ドゥイエ氏寄りで一方的な放送』ですが、ドゥイエ氏を報道する他のメディアも、必ずしも公平ではない、と、ドゥイエ氏の心理がどうあれ、彼の言葉をすべて伝えず、部分的にする点で、フジテレビも他のメディアも差はないと、あらためてわかりました。


騒ぎがある度に〜本題はこちら

問題は、氏の置かれるこうした『特殊な』状況を視聴者に説明するテレビ番組の内容です。誤審そのものを扱うのは大変結構と思いますが、誤審をネタに、『事実関係を知らない』、或いは『深く知ろうともしない』人が、さも当事者のように、印象で物事を言う態度が、納得できません。

誤審は、事実です。国際柔道連盟もそれを認めています。にも関わらず、こうした流れを理解せず、或いは無視する人がメディアには多く、篠原選手への誤審を、誤った形で報道しているように、感じます。

「誤審と思われる判定」
「主審による微妙な判定」
「疑わしい判定」

短い番組で事件の概要は要約されてしまいがちです。金メダルは二度と戻らないとしても、銀になった原因を正しく残す。それが自分の考えです。果たして誤審へのこだわりが、フランスと日本の関係を悪くすることでしょうか?

傷つける報道をしていたのは、メディアではありませんか?

ドゥイエ氏の発言内容は、そのまま聞けば実に立派です。しかし、氏が認識して、危惧する状況が実際に起きているのでしょうか? その点、曖昧ではないでしょうか? 氏に対して、個人的な恨みや憎しみはありません。

本来は氏の「おっかけ」などしたくないのですが、以前からの方針に従い、氏の発言内容よりも、それを伝えるメディアの姿勢を見たいと考えます。今回はフジテレビが氏を招き、その系列のメディアでの報道が盛んになされてます。

フジテレビは全体に、誤審に関して、引いているようです。それが社としてなのか、番組の構成員の問題なのかは理解できませんが、『とくダネ!』の司会者小倉氏は『反省』との言葉を使いました。以前、同じ番組で山下監督寄りの放送をしたことについてでしょうか?

そしてビデオ判定についての発言内容は、昔のジム・コジマ理事(今は知りませんが)と大差無い、選手の利益よりも、審判の在り方・プライドを優先する発言でした。少なくとも導入の余地があるという発言をしたデーブ・スペクター氏の発言を封じ込めようとした小倉氏の態度は、いただけません。

柔道家でも、柔道に詳しくも無い、柔道を理解しようと努力していない人間に語らせること自体、フジテレビの柔道への理解の欠如がありますし、メディアで、柔道をきちんと語れる柔道家がいないのも問題だとは思います。その為に、声の大きな人間に柔道を安直に、それこそ自分のような、ある意味での素人が話せる余地も、あるのではないでしょうか。

『日本の柔道家よりも、柔道家らしい』

小倉氏はこうも言いましたが、小倉氏は柔道家でしょうか?
日本の柔道家をどの程度、理解しているのでしょうか?

そうした素人の言葉が、一般には大きく響き、フィクションが蔓延します。柔道放送をあまりしていないメディアがなぜこの話題を、とも思えます。調べましたところ、フジ・産経新聞系列がスポンサーとなっている大きな柔道競技は、調査が甘いかもしれませんが、ありません。フジテレビは柔道と言うコンテンツに対して、他のメディアよりもはっきりと遅れた位置にいます。

柔道をそれほど愛しているように見えない、もしくは柔道にお金を出していない企業による、ドゥイエ氏の招聘は、柔道の為、つまり事実関係を整理して残す検証が目的ではないようです。

フジテレビの目的は、なんでしょうか?

フランスと日本の今回の齟齬を無くすためでしょうか? 記憶が確かならば、フジテレビは本場フランスの『自由の女神』をお台場に呼んでいますし、ホームページには美術関連のイベントで深く関わっている様子があります。日仏友好の立場から、事件に派生する騒動を心配するのであれば理解できます。それでも、誤審への抗議と、フランスへの悪感情は、別物だと思います。

過去を忘れず、何があったかを事実に基づいた視点で、公正に考えなければ、繰り返します。少なくとも当事者の片方の声がよく聞こえるからと言って、それだけを伝える報道の在り方は、正しいとは言えません。どうしてこのように極端なのでしょうか。

表層的に誤審への抗議を捉え、それがどのようなものであったかを理解・検証することも無く、ただ印象で「日本とフランスの関係が悪くなった」と主張する論拠の証明を、公器であるメディアにはする義務があるのではないでしょか?

実際に、フランスとの関係が悪化したと、報道する記事が出ているのでしょうか? 排日運動が、フランスで目立って起きているのでしょうか? 観光客が減ったとか、誤審が原因で事件がおきたのでしょうか? 排仏運動が、日本で目立って起きているのでしょうか? そうした検証の無い報道である以上、番組の果たすべき価値は無いでしょう。

そもそも、どうしてか、きちんとしたスポーツ番組での検証は無いです。ほとんどがワイドショーで感情的な報道ばかりか、短い時間でどちらかの意見に偏った内容になっています。視聴者が求めているといえばそれまででしょうが、これだけの事件なのですから、何があったか、それを当事者の印象だけではなく、残していくべきと思います。




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