全柔連主導の審判制度、導入の変化は無し
〜主審三人制は断念〜

SINCE 2002/03/07

(はじめに)

○ニュースソース

時事通信社報知新聞社読売新聞社

(事実)

1:主審三人制は導入を断念する。(終了)
2:ビデオ判定は以下の理由から、4月の導入を見送るが、引き続き1年間検証する。

 ・経費の問題
 ・ビデオ判定により、試合を止めることで試合の流れを変える危険性

(主審三人制との別れ)

主審三人制が断念された理由として、「角度の問題」があげられていますが、テスト導入前にも、角度が不適切なケースがあるとは簡単に想像できます。

テストを最初に始めた頃、及び本格導入前の矢部里の考え
(2001/02に体育系の大会で最初に導入した後の2001/02/26メルマガで初出、書き直したのはテストを本格導入する報道があった2001/06/15)

雑誌やメディアに、「なぜ三人制が必要か」の提起も無く、理由も無く、始まったようにしか思えないこの提案ですが、意味があったのでしょうか? 「駄目なのがわかった」という点でも、前進かもしれませんが…この点、時間と費用を費やした点が、理解に苦しみます。

尚且つ、初めからわかっている「角度の問題」で大会を運営された選手に、「角度の問題」で「誤審」が起きていた場合さえもありえるのです。こうした、「誤審」に対して、予防策を講じていたのでしょうか?

本格導入後(正力杯・講道館杯でのテスト後)の矢部里の論考

初めから「篠原選手のケースでの誤審」では有効に機能しないとわかっていただけに、導入が断念されたのは喜ばしいことですが、この制度が提案され、検証もされずに素通りしてテスト導入されたことは、大きな問題ではないでしょうか。


(ビデオ判定について)

「経費」と「試合に関する流れを止める」とありますが、ここがゴールデンスコアの導入に近づいた欧州と日本の差ではないでしょうか。

たとえば、ゴールデンスコア制度は、導入理由が明確にされています。

審判による旗判定に透明性が無い。
観客や選手、コーチ、審判の身内にもわかりにくい。


それを解消する為に、審判に依存しない制度の導入を検討した結果です。

さらに反対理由として考えられる「試合時間の延長」についても、彼らはデータを取り、数字的にこの反論を否定します。

「試合時間の延長は、運営に支障をきたすレベルではない」と。

ヨーロッパ柔道連盟による、ゴールデンスコア制度のテスト結果

「最初から指摘される問題点を理解しており、それに反論する為に必要なデータとは何かを理解しての試験的な導入」と見ることも出来ます。具体的な目標「旗判定時の誤審軽減」を設定し、その手段として有効な「ゴールデンスコア方式」を導入するには、どうすればいいか。その制度導入の効果の大きさと、マイナス要素を比較して、判断するしかありません。

物事の善悪ではなく、「この効果の大きさは、マイナスよりも大きい」と。合理的過ぎる判断ですが、効果が大きければ、選手は利益を得ます。変わらないことで守られる「柔道の伝統」より、彼らは「選手の利益」を優先しました。

(ビデオ判定の利点・欠点)

一年以上前、自分はビデオ判定について書きました。

今回、導入に踏み切らなかった「経費」と、当時のコジマ理事が述べた「時間の問題」について考えました。「導入すると時間がかかり、大会運営に支障をきたす点」についてですが、「時間がかかる」のは、わかっていますが、「試験導入」すべきと思います。

主審三人制では「わかっていることをするのは無駄」と書いておきながら、ビデオ判定も時間がかかるのに導入すべきと言うのは、矛盾かもしれませんが、使うケースを限定すれば、時間はそれほどかかりません。

「導入すべき判定の切り分け」を行い、個々の判定の大小については問わず、むしろ「どちらのポイントか」微妙なケースで対応すべきと。

篠原選手が受けたケースでの誤審を軽減する効果は、主審三人制にはまったく見えず、だからこそ反対の立場を取りましたが、ビデオ判定ではこの効果が非常に大きいです。この「誰に入ったかわからない」誤審は、1997年のパリ世界選手権でも問題になり、審判への不信感が助長された大きな事件とも言えます。

解決する手段は質の高い審判員を増やすことですが、それ以上に、人間がミスをするのを認め、ミスを直せる制度を存在させ、選手が最大の利益を受けられるよう、尽力することではないでしょうか。

「運営に時間がかかる」のは当然です。ならばなぜ、「運営に支障を来さない範囲での限定的運用」を考えないのでしょうか? また「決勝戦のみ導入」、「準決勝から導入」など、徐々に広げることも出来るはずです。使われる場面と、使う試合を限定する、そうした切り分けさえも考えとして伝わらないのは、定導入に後ろ向きで、主審三人制と同じ結果を暗示しています。

(試合の流れ)

ここで昨年はまったく気づかなかった、「試合の流れが変わる危険性」ですが、「正しい判定を受けられず、自分のポイントが相手に渡る」こと以上に、試合の流れを変える「危険」が存在するでしょうか?

公平な判定を受ける機会を作ることが「試合の流れを変える」かどうかは、「今までと違う方法だから起こり得る」可能性はあります。しかし、この意見を言うならば、「実際に試合の流れを変えるのか」どうかの検証(実際に変えた場合選手は被害を受けますので軽々しく行えませんが)や、「では試合の流れを変えない導入は出来ないのか」を考えなければ、単なる「感想」に過ぎません。

また「試合の流れを変える危険」ですが、「試合を止めて時間を費やすこと」を指すならば、審判員は常にこれを行っています。治療行為や審判による協議は時として長時間に及び、それらがビデオ判定と同様に「試合の流れを壊している」とも見ることが出来ます。

それらが「壊さない」と考えられるのは、「今までもあった」からで、ビデオ判定が「壊す」と思われるのは、「新しい」からだけではないでしょうか? 壊されるのは、「今までの枠組み」だけではないでしょうか?

(例:試合中の協議)

例えばです。

「微妙なケース」では審判員が集まって討議をしても、見えていなかった人には見えているわけが無いのですから、判断を求めるだけ、無駄な時間です。さらに誤った角度からの判断が、1/3の意見を持ってしまうことになります。

しかし、ビデオ判定が導入されれば、審判員は均等に情報を得ることが出来ます。また合議による「観客へのわかりにくさ」も、ビデオにより、映像が公開されれば、公平な裁定に近づけますし、選手やコーチも納得できます。

相手の技だと納得できれば、試合そのものの流れは壊れないのではないでしょうか?

そもそも「流れ」とは抽象的過ぎます。「流れ」を述べるならば、「流れ」とは何かを伝えなければなりません。

流れが壊れるにせよ、ビデオ判定最大の効用は「自分のポイントが相手に渡り、それで負ける」ことが減ります。さらにビデオ判定の導入は、誤った判断を下した審判員に新しい視点を提供します。

流れうんぬんより、正しく判定される機会を得ることこそ、試合者の望むことではないでしょうか? 正しい判定を受けられる可能性と、流れを止める危険性の比較するのは選手であるべきで、「ビデオ判定導入の運営者」が述べる問題ではありません。

(おわりに)

「前からわかっていた」と書いているのではなく、なぜ柔道の専門家が、素人にでもわかりそうなことを考えず、或いは説明もしないのかが理解できず、発表もしないその辺りに疑問があります。

ヨーロッパの提案は導入理由の明示と、データによる検証があります。勿論、導入の為に必要なデータを集める方法はいつも正しいとは言えず、公平な判断を下すのに必要な情報を排除している可能性も否めません。

しかし、「説得力」があります。この説得力は外部に対して、自分たちの意見を伝えるものです。全柔連の意見は「主審三人制」「ビデオ判定」を見る限り、大きな審判制度の変革でありながらも「とりあえずやってみる」程度で、外部への説明責任をまったく怠っています。柔道専門雑誌の『近代柔道』が「主審三人制」や「ビデオ判定」について大きな特集を組んでいないのも、全柔連の情報が無いからではないでしょうか?

主審三人制は導入の結果、「角度の問題」で誤審が起こり得ます。ビデオ判定で失われるのは「経費」と「時間」だけで、誤審を直接引き起こす可能性は低いです。ゼロで無いのは正しい判定にも関わらず、ビデオの検証結果の解釈で相違が起こり得る、柔道の判定が「どちらが投げたかの解釈」を含んでいるからです。

本当に審判の方は苦労されていると思います。だからこそ、失敗が致命的にならない「保険」も必要ではないでしょうか? ビデオ判定はその点でも、優れていると思います。お金の問題は自分には解決できないのですが、お金をかけず考えることは出来ます。

当事者が見落とした視点を提供できないか、何かしらの参考にならないかと、このように書いていますし、将来に起こり得る誤審を防ぐ意味と、起きた場合に、誤審へ関心を持った人がゼロからスタートしないで済むように、そんな気持ちから書いています。

(補足〜経費もかからないし試合の流れも壊さない方法〜)

最後に、ここまで言いながらも、「異なる相手にポイントが入る」ケースでは、「必ず開始線を指差し、技の帰属を、明らかにする」だけで足りるかもしれません。自分自身はよく忘れてしまいますが、この意見が誤審軽減への最も現実的な一歩です。

今は、このようなケースで審判は、開始線を指差す動作を「should(すべき)」であって、「must(しねばならない)」ではありません。これを改正するだけでも、多少の改善の余地は有るはずです。

この「線を指差すルール」に関しては、制度:審判委員(2001/01/23)の下の方に記しています。シドニー以前でもこのルールは存在しており、改正されても実効性に変化が無い点(文章表現は異なっているが、mustでないのは同じ)から見て、「必ず開始線を指差させる」義務を持たせるべきかもしれません。

仮にモナハン主審が「副審の一本をドゥイエ選手の一本」と思いこんでいた場合、或いは副審が「モナハン主審の有効を篠原選手への有効」と思いこんでいた場合、(これらを肯定も否定もする資料は一切公開されていませんし、当事者の意見も聞いていませんので可能性として絶対に無いとは言いきれません。スコアボードを見ればすぐわかることなので、副審に関してはこのケースは極めて低いのですが…モナハン主審に関してはどうでしょうか?)、両者の間でポイントを生んだ選手が異なるとはいえ、それがわからないまま、「判定の大小」で問題が終わってしまい、その瞬間に協議をする必要性が生まれません。

「異なる相手に渡ったかどうか」は、この「開始線を必ず指差す」動作を行うことでわかりますし、そうなれば即座の協議対象にもなり得ます。

「利点:お金もかからない・試合の流れも壊さない・どちらの技かわかる」
「欠点:審判の負担が増える」

こうした方法での解決への道筋もあることを付記して、今回の文章は終わります。
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